今、この随想を書いているのは、2020年7月の中下旬です。皆さんも同じように感じているのではないかと思いますが、近頃、「本降りになって出て行く雨宿り」を身に染みて実感します。チョットした厄難を避けるつもりが、「当てが外れ」、より本格的な厄難に会うことが「しばしばだ」という感じでしょうか。何事も、ネット時代ですので、この句を検索してみると、かなりヒットします。もちろん、川柳として、代表的な句ですので、ヒットが多いのは当然なのでしょう。新型コロナウィルス感染への行政や社会の対策をこの川柳を利用して皮肉った書き込みも少なくありません。でも始めは、素直にまず最近の雨について考えてみましょう。それにつけても、近年は雨が良く降ります。毎年のように豪雨災害のニュースが流れます。暗い気持ちになってしまいます。
「当てが外れる」と言いますが、日本の気象庁の天気予報は、最近とみに信頼性が増しました。筆者などは、1950年台の生まれですので、気象庁の天気予報などというと、世間的には「当てにならない代名詞」のようなものでした。もちろん、確率予報などというしゃれた予報はありませんでした。気象庁の天気予報は預言者のように、「本日の天気は晴れ、2、3日続きます。」と予言します。しかし、それを信じて傘を持たずに外出すると雨に降られて、雨宿り、驟雨だからすぐに止むと思えば止まない。まさしく、「本降りになって出て行く雨宿り」という体験をしばしばさせられました。
気象庁の予報に、さほど信頼がおけなかったことも原因の一つと思いますが、1954年9月の洞爺丸台風による海難事故では、犠牲者が最終的に1,400人余り(洞爺丸単独で1,100人余り)となりました。函館港からの出航を決めた船長は、自身の行う気象把握に強い自信を持っていたと言われています。洞爺丸事故は当時としては戦争による沈没を除けば、1912年のタイタニック号沈没、1865年のサルタナ号火災に次ぐ世界第3の規模の海難事故と言われています。筆者の同級生には、洞爺丸事故で父親を失った者がいます。記憶のない幼児の時のものですが、その後の母子家庭での経験を綴った作文が、優秀ということで全校生徒の前で朗読されて強く記憶に残りました。当時の気象予測は、主に観測による天気図(海面補正気圧図など)の作成と、過去の観測からの相関予測(deepではありませんが、現在の深層学習に通じます)によるもので、もちろん気象シミュレーションによる予測は実用化されていませんでした。
その5年後、1959年9月の夜半に東海地方を襲った伊勢湾台風も忘れられません。筆者も被災しました。幸い内陸のため、高潮被害は経験していませんが、夜間の暴風雨で停電のため真っ暗な中、暴風のため家が半壊した時の恐怖は、今も思い出すことができます。伊勢湾台風では高潮被害などで5000人余りが犠牲になっています。犠牲者の数は、第二次世界大戦後の自然災害では、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)、1995年1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)に次ぐ規模で、台風災害としては最多です。ただ、伊勢湾台風の際の気象予測は、当時としてきわめて正確だったようです。ほぼ、予報通りの進路をたどって上陸し、襲来当時の午前中には、まだ本格的な暴風雨になる前から暴風雨・波浪・高潮などの警報が出されたといいます。警報により防災責任機関は厳戒態勢に入り、また広く報道されました。しかし、それでも気象観測始まって以来の大災害が引き起こされということです。伊勢湾台風を教訓として、災害時の情報伝達に役立つ携帯ラジオが普及したそうです。当時はまだ真空管方式のラジオが一般的で、停電すると受信できませんでした。
伊勢湾台風は、日本で本格的な気象レーダーを設置する契機ともなりました。全方向にわたってレーダー電波が山岳で遮られることがないことから設置場所を富士山頂として、伊勢湾台風から5年後の1964年に設置されました。衛星画像の活用で、この気象庁の富士山頂レーダーが撤去されたのは1999年です。富士山頂にレーダーが設置された翌年の1965年には、Harlow, F.H.とWelch, J.E.による” Numerical calculation of time dependent viscous incompressible flow of fluid with free surface”, Phys. Fluids, 8 (1965.) よる非圧縮粘性流の流体解析法であるMAC法が公開されました。MAC法の開発により、3次元流れの流体シミュレーションが、気象分野のみならず工学分野でも急速に普及する契機となりました。富士山頂のレーダーが撤去された1999年は、設置から35年、経過していますが、その間の流体シミュレーションの進歩もすさまじく、もうあたり前に3次元の複雑乱流のシミュレーションが行われるようになっていました。今は、その1999年から、既に20年余も経過しました。
気象現象は、物理現象です。この物理現象の支配原理も明らかになっており、境界条件などの計算条件を精度よくモデル化して入力できれば、対応する現象もかなり精度よく予測することができるようになっています。天気予報は信頼に足るものとなり、「本降りになって出て行く雨宿り」というような事態は、現代では天気予報に無頓着な横着者にのみ生じます。ただ、予測精度が改善され、信頼に足るものとなりましたが限界もあります。複雑な実現象のすべてを考慮した計算機シミュレーションは、観測に限りがあることもあり、できかねます。シミュレーション結果に与える感度の高い条件は組み入れられますが、そうでもないものは無視されます。まだ見つかっていない感度の高い条件もあるかもしれません。物理現象の気象は実用的に予測されるようになりました。しかし災害は、気象現象だけでなく、人の要素も大きく関わります。個々の人々の特異性やその人々の間での情報伝達や人々の行動を考慮したシミュレーションまでを考えないと、気象災害で犠牲になる個別の人々を特定し、その人たちを救うことはできません。気が遠くなるような作業が必要になる気がします。今は、物理現象をある程度、信頼性を確保して予測することは可能となりましたが、人という要素を入れて、災害予測するには、まだまだ不十分な状態に思われます。
現在、新型コロナウィルスの災禍は、まだ収まる気配を見せていません。今から少し前、日本の行政が主導した感染拡大防止を目的とする行動制限により、感染拡大はいったん収まりました。そのため、感染拡大防止のための行動制限は緩和されました。しかし、この緩和と機を一にして、再び感染拡大が進んでいます。まさに「本降りになって出て行く雨宿り」を地で行くような事態となっています。早く、この人々の間での行動に影響する情報の拡散やその行動の制御が、感染拡大をどのように防止するかを正確に予測できる信頼のおける預言者が出現して欲しいところです。物理現象のアナロジーで考えれば、このような予言者の第一候補は、人の行動に影響を及ぼす情報の拡散と人の行動を予測する詳細な計算機シミュレーションになるでしょう。しかし、その開発にはまだまだ、たっぷりの時間がかかりそうです。