1.はじめに
建物内などの閉空間内の換気設計に関して、“全般換気”と“局所換気”という概念があります。両者とも、室内では様々な汚染物質により室内空気が汚染され、
これが室内の人々の健康や快適性を損なうことを防ぐことを目的に行われます。“全般換気”は、室内空気による汚染物質の運搬・輸送に関して、あまり注意を払わ
ず、汚染物質と室内空気のかき混ぜ能力(混合能力)に注意を払います。“局所換気”は、室内の空気の動き(室内気流)による汚染物質の運搬・輸送に大きな関心
を払います。
一般に、室内で汚染物質の発生する箇所が予め予測できる場合は、発生した汚染物質が室内に広く輸送・拡散・希釈されることよりは、発生する汚染物質を速やか
に室外に排出し、室内に広く拡散することを防ぐことに注力されます。これがいわゆる“局所換気”手法というものです。台所のレンジフード換気などが、この“局
所換気”の典型です。調理の際に生じる水蒸気や熱、臭い、燃焼式のレンジであれば燃焼廃ガスなどは、予め発生位置が決まっています。したがってこれに対応する
よう換気用の給気口や排気口(両者をまとめて制気口と称します)を設置し、気流を上手に利用して、発生する汚染物質を室内に拡散させることなく速やかに排出さ
せることを目指します。
これに対し、“全般換気”は、室内の汚染物質の発生個所が予め予測できない場合、もしくは汚染発生が室内で幅広く生じる場合への対処法になります。汚染物質
の発生位置があらかじめ特定できない場合や、これが室内に広く亘(わた)っている場合は、気流による輸送性状をコントロールして、発生した汚染を速やかに室外
に排出させる工夫の余地があまりありません。むしろ、発生した汚染物質は、室内に広く拡散・希釈させ、健康や快適性を損なわない低いレベルに保つことを目指す
ことになります。換気用の制気口(給気口や排気口)の位置やこれらにより定まる気流性状も、室内の中で特に汚染質濃度の高い場所が生じないよう、混合性能が高
くなることが求められます。
多くの室内環境では、換気システムを設置する以前(建物建設使用前)には、汚染発生位置があらかじめ特定できない、あるいは室の居住者による室内汚染物質の
持ち込みを予測できないことが多いと思われます。そうした場合は、汚染発生位置を特定せず、室内空気の輸送・混合が最大限生じることを前提として、制気口の特
性や配置を工夫して換気(すなわち全般換気)が設計されます。全般換気が想定する汚染発生源としては、人や建材、室内に居住者により持ち込まれた器具、家具な
どが想定されます。皆さんが日常使われる室内のほとんどは、この“全般換気”で設計されることが多く、“局所換気”は、台所のレンジフードなどや、工場などで
健康影響の恐れのあるガスや粉じんが生じる場所で、労働者がこれらの汚染物質に曝露されないよう作業環境を守るために使われます。
新型コロナウィルスの感染対策としての室内換気設計では、“全般換気”と、“局所換気”のどちらが使われることになるのでしょうか。答えは後者“局所換気”
になります。“全般換気”は、希釈を問題にしているだけなので、換気設計としては換気量の多寡だけが問題になります。日本政府の新型コロナウィルス厚生労働省
対策本部では、「換気の悪い密閉空間」を改善するための換気の方法」を取りまとめていますが、(厚生労働省のホームページhttps://www.mhlw.go.jp/content/109
00000/000618969.pdf参照)。その中ではビル管理法(建築物における衛生的環境の確保に関する法律)における空気環境の調整に関する基準に適合していれば、必要
換気量(一人あたり毎時30m3=CO2濃度:1000 ppm以下)を満足させるもので、「換気が悪い空間」には当てはまらないと述べており、この換気量を満たして行われる
“全般換気”に対しては、それ以上の注意を求めていません。
新型コロナウィルスの感染対策としての室内換気設計では、感染の疑いが晴れない人は、すべて感染源となるエアロゾル排出者とみなします。医療関係者や様々な職
種において、そのような見做し感染者にサービスを提供する人、もしくはこの感染者と同室になる人が、この感染源となるエアロゾル汚染に曝露されないよう制気口の
配置などを利用して換気設計を行うことになります。
2.制気口(給気口、排気口)などを用いた室内の気流制御
室内気流は、流体の支配方程式をその境界条件、初期条件のもとで解析することにより、その性状を予測することができます。室内気流の性状が支配方程式により予
測されれば、気流による汚染の運搬・拡散性状も、流れによる物質輸送の支配方程式により予測することができます。流れの支配方程式は、非線形の連立偏微分方程式
であり、単純な境界条件、初期条件でない限り初等関数などで表現されるような一般解を求めることはできません。支配方程式を数値的に解くコンピュターシミュレー
ション解析のみが、今のところ現実的な予測法となっています。もちろんコンピュターシミュレーションではなく、実現象を模型化して行われる模型実験でも観測、予
測可能です。しかし多大の時間と労力を必要とし、比較的お手軽にできるのは、流れのコンピュターシミュレーションです。CFD(Computational Fluid Dynamics)など
と呼ばれています。制気口(給気口、排気口)などを用いた室内の気流制御は、一連の候補となる換気設計に対して、このCFD解析を行い、最適解を求める“最適化探索”
を行えば良いわけです。あとは、建築設備士や空調技術士などの専門家に任せておけば良いのです。しかし、話をここで終わりにしてしまうのも気が引けますので、そう
した専門家が、最適化探査を行う出発点となる換気設計の原点に関して簡単に説明したいと思います。
2.1流れは、流れ方向とその横方向に物を運ぶ
流れ方向に、熱や汚染物などが運ばれることに説明は不要と思います。川の流れや雲の流れを見るまでも、流れがあれば、流れ方向に物や熱は運ばれます。ただ流れ
が一様でなく、流れの横方向に流速が変わると、横方向にも熱や物が運ばれます。流れの横方向に速度が変わる流れを、せん断流と言います。せん断流は、流れの横方
向にも物を運ぶのです。下の図をご覧ください。
せん断流れが生じると、渦ができます。この渦によって流れの横方向にも物や熱が運ばれます。“乱流拡散輸送”と言われています。もちろん流れ方向にもこの渦の動
きで物や熱が運ばれますが、“乱流拡散輸送”の能力は流れ方向の輸送、“移流”に比べて相対的に小さく、平均的な室内気流観測した結果では一般に移流による輸送
の20%以下と言われています。流れ方向では、流れ(移流)による輸送効果が大きく、“乱流拡散輸送”の効果はあまり現れません。せん断は、流れが接する固体壁近傍
で生じます。固体壁面上の流速はゼロです。固体壁面から離れれば、固体表面での摩擦が効かず、流速は早くなります。せん断流れが生じます。壁や人体の皮膚表面に
並行する流れで、固体壁面から流れの横方向に熱や物が輸送されるのは、このせん断流れに起因する“乱流拡散輸送”が担います。
覚えておいてください。流れの横方向に汚染物や熱が伝わって欲しくない場合は、流れの横方向に速度差ができないようにしなければなりません。逆に流れの横方向に
速度差があると、上流から下流に向かうにつれて、この横方向の“乱流拡散輸送”の効果で、混合が生じ、混ざります。熱や物質だけでなく運動量も混ざります。せん断
流れの厚みは増加し、流れ方向の速度も大きく変化してゆくことになります。
上の図は、流れが急拡大すると急拡大したところで流れが剥がれ、そこから流れ方向にせん断流ができることを示しています。せん断は、このように固体壁に沿ってでき
るものだけではなく、固体壁から遠く離れた場所で生じるものもあります。専門用語では“自由せん断流”などとも言っています。流れが剥がれて、せん断流が生じると
流れの横方向の輸送が活発になります。せん断流の広がりとともに、熱や物、そして流れの運動量も流れの横方向に拡散していきます。この流れの急拡大は、給気口では
、必ずと言ってよいほど生じます。給気口からの流れを噴流(Jet)と言いますが、噴流はせん断を伴い、流れの横方向に物や熱、運動量を拡散します。
2.2給気口からの噴流は、せん断を伴い減衰する
給気口で、流れは急拡大し、剥がれてせん断が生じて、そのせん断流れは流れ方向に発達し、熱や物、運動量を流れの横方向に拡散させます。給気口から噴流の中心速
度は、給気口からの距離に反比例して減衰します。給気口の幅のおよそ10倍で1/10となり、20倍で1/20になります。給気口幅が大きければ大きいほど、中心速度の減衰は
遅くなります。噴流を遠くまで届かせたければ、大きな給気口幅にするに限ります。給気口幅が0.3mなら3mで中心速度は1/10になりますが、給気口幅が3mなら3mの距離で
中心速度はほとんど減衰しません。
噴流が清浄空気で、汚れた室内空気と混合させたくなければ、大きな給気口にして、噴流がまだ周囲と良く混合する前に、目的の場所に到達させることになります。逆
に小さな給気口を用いれば、給気は短い距離で周囲と良く混合します。給気温度が室内温度と大きく異なり、そのまま人体に到達しては困る時は、小さな給気口にするこ
とがお薦めになります。噴流が横方向に拡散するのは噴流の横方向の空気の速度が噴流の速度と異なり、大きなせん断が生じることが原因です。噴流の周囲を噴流と同じ
速度で噴流を囲うように流せば、速度差が生じないのでせん断が生じず、横方向への拡散が抑えられます。噴流が清浄空気で周囲の空気と混合させたくなければ、噴流の
周囲を同じ速度で室内空気が流れるようにすることが有効になります。
2.3排気口へ向かう流れの制御は難しい
静止空気から排気口に向かう空気の流れはいわゆるポテンシャルフローとなり、排気口に向かって全方向から空気が次第に静圧から動圧(速度圧)に変換されて排気口
に向かいます。空気の流れとしては排気口の全周方向(4π立体角中の2π方向)から排気されるので、排気流れを排気口から遠くまで届かせることはできません。ただ
し、排気風量と同じ流量で運動量を持った流れを作成してそれを排気口に向けて流してあげれば、結果としてその流れが、排気口から直接排出されることになります。次
に述べるPush-Pull換気で使われる手法です。
2.4 Push-Pull換気
工場換気など有名な換気方式です。汚染源を挟み、給気と排気の2つペアで配置します。給気口と排気口のペアは鉛直方向に置かれることも水平方向に置かれることもあ
ります。給気からの運動量を排気口まで維持させ、その流れの中に汚染源を置くことにより、効率的に汚染源からの汚染ガスなどを、室内に拡散させることを最小限にして
排出します。この流れの外に作業者を配置できれば、作業者は汚染ガスに被曝することなく、より安全に作業することが可能になります。Push-Pull換気の活用は感染防止に
最も効果的な換気方法になります。長い工場換気の歴史の蓄積も生かせる有効な方法です。病院の診察室、歯科の診療室、床屋さん美容室、密接して対人サービスを行うあら
ゆる職場は、この工場換気の長い蓄積を生かしたPush-Pull換気を実用化する必要があると考えます。患者様あるいはお客様は、工場換気でいう汚染排出源というわけです。
2.5人体からの熱上昇流
人は着座して、事務作業などをしているとき、およそ100Wで代謝熱を環境に放出しています。軽作業では発汗などしないので、呼吸での放熱(全体の15%位でしょうか)を除
くとのほとんどは皮膚からの顕熱放散です。顕熱放散は対流と放射で行われます。一般的な室内では、対流熱放散は放射熱放散に比べ小さく、およそ30W程度と評価されます。
対流熱放散は、その周辺に熱対流を惹起しますので、人はその熱上昇流に囲われています。30Wの熱対流の流量がどの程度であるかは、状況にもよりますが、人体頭部付近で
半径0.3m、風速0.3m/s程度と見積もると約0.01m3/s程度になります。この場合、熱上昇流の平均温度は1.5℃程度周辺空気に比べ上昇していることになります。0.15℃程度の
上昇とすると0.1m3/s程度となります。この流量は人体周辺の上昇流の周辺空気の誘引率で変わりますが、人体から上昇方向に離れれば離れるほど、誘引流量は大きくなりま
す。感染者が排出した感染性エアロゾルがこの感染者周囲の熱上昇流中(もちろん顔面側です)に流出すると考えれば、この感染者からの熱上昇流をすべて補足して排出してや
れば、感染リスクを大幅に下げることになります。0.15℃程度の温度上昇に留まる0.1m3/sの風量は毎時360m3で非現実に大きいですが、1.5℃程度の温度上昇にとどまる0.01m3/s
程度の風量であれば、現実的かもしれません。焼き肉屋などで、焼肉を焼く時に生じる煙やにおいを排出するため、焼き肉用のコンロの上部に排気用のフードが設置されてい
ることを経験されたかもしれませんが、同じように感染者の直上に毎時36m3程度の排気フード(大きさが多少大きく半径0.3m程度)を設けると良いかもしれません。Push-Pull
換気の考え方で言えば、感染者の床からも同量(少し少なめが良いでしょう)の清浄空気を供給し、感染者をこのPush-Pull換気で周辺空気と縁を切ると効率的になるでしょう。
感染者が咳やくしゃみでこの上昇流域外に感染性エアロゾルを排出するのであれば、論外になりますが、会話などの排出される感染性エアロゾルはこの上昇流により室上部
に運ばれ、水平方向には運ばれにくいと思われます。安全距離の考え方(ソーシャルディスタンス)は、この人体周辺の熱上昇流の性状が一つのヒントになっています。呼吸
空気は主に自分の周囲の熱上昇の中で特に顔面側の上昇流と考えられるので、足元から立ち昇るその熱上昇流の顔面側に感染性エアロゾルが到達しなければ安全ということに
なります。そのための距離が安全距離ということになります。
3.咳によるエアロゾル拡散
上の写真はSARSの問題が顕在化した2002から2003年頃に筆者らの研究室で、咳を可視化したものです。可視化は、口腔中に小麦粉を含み、空咳をした際の小麦粉の飛散をビ
デオ撮影したものです。咳により小麦粉は優に2m以上、飛散します。2mの安全距離をとっても、口をマスクなどで塞がず、直接咳をされたのでは、安全距離を取ったとしても
咳により病原性のエアロゾルの直撃を受けることになります。咳の吐出空気の容積、吐出空気中の唾の量、咳の吐出速度を測定し、咳の気流を再現しました。筆者らの検討で
は、個人差がありますが、咳の吐出空気の容積は0.8~2.2Lの範囲にあり、平均的には約1.4L程度を観察しました。また、吐出空気中の唾液の量は平均的に約6.7mgであり、咳
の吐出空気における唾液の量が約4.9mg/Lでした。咳の吐出速度は6~22m/s以内に分布して、平均的に約11.2m/sでした。咳気流の可視化により、咳の影響範囲は、2m以上の範
囲に及び、2mの安全距離を隔だてたとしても、咳の直撃を受ければ感染性原因物質の直撃を受けることが示されました。
著者らは、上記の観察結果に基づき、2003年にCFD解析により咳による感染原因エアロゾルの被曝を検討しました。下の図にその時の、解析対象の概要を示します。
上の図は、空調側の人が咳をした場合の、咳のエアロゾルの室内拡散を咳の勢力範囲として表したものです。勢力範囲(SVE4)は、筆者の提案による換気効率指標の一つです。
一般に室内に複数の吹き出し口がありますが、人の口からの吐出空気も室の吹出口からの吹出空気と同じで、人の口や鼻の孔も吹出口と考えます。各吹出口からの吐出空気がそ
の場所での占める割合(組成率)を勢力範囲と定義しました。図は、人からの吐出空気がその場所で占める割合(人の吐出空気の組成率)を示しています。数値が大きいものは、そ
の場の空気の組成で、人の口から吐出された空気の組成が多いことを示します。図中の数値は、空調からの空気量に対し人からの吐出空気量を1/1としたものを示しています。
0.5は、その部分の空気は人の口から吐出された空気が50%で残り50%が空調機から噴き出した空気であることを示しています。もちろん、空調からの空気量に対し人からの吐出空
気量の比が変われば、それに対応して、この数値も変わります。例えば人体からの吹き出し風量(吐出風量)0.6m3/hに対し、空調吹きだし風量が100倍(正確には100-1=99の99倍)
の60m3/hであれば、図中の数値は%値を示し、0.5であれば、その場所の空気のうち、人体からの吐出空気が占める割合は0.5%であること意味します。図に示されるように、空調
空気で室内が良く撹拌されていれば、多くの部分で室内空気組成は比較的均一となります。空調吹き出し空気の部分及び咳気流の部分のみ、その割合が変化しています。エアロゾ
ル感染(飛沫核感染)に関しては、人体距離が1.5mも離れていれば、どれだけ離れてもその場の空気はみなほぼ同じ割合で人体からの吐出空気を含むようです。逆に言えば、空調空
気で撹拌されている室内であれば、相手の体温を肌で感じるような極めて親密な距離にない限り、部屋のどこにいても感染確率は同じで、感染確率を下げるには空調吹出量(清浄
空気である必要があります)の増大のみが感染確率を下げることが分かります。
はじめの章で、全般換気と局所換気の違いを説明しました。ここで示しました例は空調機を用いた全般換気システムです。全般換気システムにおいて室内の汚染質の平均濃度に対
して、対象とする被感染者の呼吸空気の平均濃度を1オーダー下げる、すなわち1/10にすることは、かなり困難です。対象とする人の呼吸空気域を清浄な給気が供給される給気口の間
近にして、室内空気と混合する前の給気を呼吸させない限り困難です。なお、この考えを生かした換気方式があります。パーソナル換気という考え方です。これは人の間近でかつ人の
作業や活動に邪魔にならないよう清浄空気を供給しようとするものです。
上の図は、そうしたパーソナル換気の検討例です。この検討はSARSが問題となった少し前、2000年ごろの筆者による検討例です。図中の数値は、給気口からの空気齢SVE3を示します。 空気齢SVE3は給気口からの供給空気がその場所に到達するままでの平均的な時間を表します。通常、室内の換気回数の逆数である換気時間との比で表します。例えば1.0という値は、 その場所の空気は給気口から、平均、室内の換気回数の逆数(換気回数が6回/時であれば1/6の10分に対応)に対応する時間で、到達していることを示します。空気齢SVE3は、筆者の 提案する6つの代表的な換気効率指標(SVEシリーズ)の3番目ということでSVE3となります。図を見て、お分かりになると思いますが、大開口での給気は、人体の呼吸域の空気齢が小 開口の場合に比べて小さく、給気口からの清浄空気が周辺の室内気流と混合せず、速やかに到達することを示します。同じ風量を供給するのであれば、大開口の給気口から低速で人の 呼吸域(人の前面の胸元付近)に給気することが有効になります。
話を元に戻して、口から放出される感染性のエアロゾルの室内の拡散性状に戻りましょう。上の図は、光りの図とは逆に、空調面側の人が咳をした場合の、咳のエアロゾルの室内拡散
を咳の勢力範囲として表したものです。咳をする位置が異なりますので、それに対応して、咳気流の勢力はなし、範囲(SVE4)の分布も若干、異なっています。等値線の図は、異なって
見えますが、値は先の図とほとんど変わりません。
なお、コンピュターシミュレーションによる解析では、咳によるエアロゾルの拡散性状だけでなく、重力や慣性の影響を強く受ける比較的大きな飛沫の飛散性状を調べるもの容易です。
余りに生々しいので、図を掲載することは遠慮しますが、筆者らの解析によれば、50μ程度以上の飛沫は、弾丸のように咳気流とともに飛翔し、対面する人の顔面などを直撃しました。咳
の吐出速度は10m/s以上です。飛沫もその速度で吐出します。2m離れていても咳の直後0.2秒以内に直撃されます。避けようもありません。重力が働くと言っても、0.2秒間のできごとです。
重力による落下の影響はほとんどありません。径が50μ以上、100μ(0.1mm)や500μの飛沫も試しましたが、軌跡はほとんど変わりません。かなり遠くまで到達します。安全距離といわれて
いる2mをはるかに凌ぎます。
4.全般換気される居室での換気効率の評価例
Push-Pull換気の活用は汚染防止に最も効果的です。長い工場換気の歴史の蓄積も生かす有効な方法です。しかし、Push-Pull換気は、室の使い勝手に大きな制約をもたらします。排気口だ
けでなく給気口を、見做し感染者(汚染源)の近傍に設置して、サービス提供者がサーブしなければなりません。Push-Pull換気の効果を妨げるようなサーブ姿勢、サーブ位置をとることができ
ません。給気口や排気口はそれに繋がるダクトがあります。ダクトを天井裏や床下に隠ぺいできない場合は、室内に邪魔なダクトが表れてしまい、サービス提供者のサーブを制約します。実用
的なPush-Pull換気のデザインは、それほど容易ではないでしょう。
Push-Pull換気ほど厳密でなくとも良いということで、全般換気システムでありながら、給気口や排気口の位置を調整して、見做し感染者(汚染源)に対応して、サービス提供者の呼吸(吸気)
の汚染質濃度を室内の平均的な濃度より、下げることは可能と思われます。ただ、全般換気でもワンオーダー、1/10程度にまで下げることは可能かもしれませんが、ツーオーダー、1/100程度ま
で下げることは無理と考えるべきでしょう。全般換気に多くは望めません。効果は小さいかもしれませんが、感染リスクをそれでも低減することは可能ですし、特に感染するか否かのマージナル
的な領域(境界領域)では、感染性エアロゾル濃度を1/2程度に低減することでさえ、大きな意義はあると思われます。
2002から2003年のSARSが流行した時に行ったもので、現在からは多少古い解析例ですが、筆者が行った4人病床の一般病室における全般換気システムの検討例を示します。これは主に排気口の
配置が、病床にいる入院患者の呼吸空気質に与える影響に関してCFDを用いて検討したものです。下図は対象とした4床室の概要です。現設計(標準設計)は天井にそれぞれ1つの給気口、排気口
が設置されています。経済性の観点(排気ダクトを設けないこと)から、排気は排気口からつなぎダクトで廊下部に直接排気されます。検討は、排気ダクトの工事費を惜しまず、排気システムを
充実させて、排気口を感染源である入院患者の直上あるいは近傍に配置した場合の効果を探るものでした。
解析ケースとして排気口を天井面に設けた3ケースと床面近くの壁面に設けた3ケースの合計6ケースを検討しました。検討ケースと解析に用いたメッシュを下図に示します。
廊下側から窓側部に至り入院患者の胸元付近を通る鉛直断面C-C’の風速分布を上図に示します。排気口の位置に関わらず、気流の性状はほとんど同一の印象を与えます。
給気口からの吹き出し噴流が入院患者の温冷感に悪影響を与えないため、また窓部から室内に侵入もしくは流出する熱(専門用語ではぺリメータ熱負荷)に対応するため 給気は窓際の室中央部に設けられています。この吹き出し噴流は入院患者の胸元や顔付近の気流には大きな影響を与えていません。入院患者がそれぞれ代謝による発熱を対
流成分として室内空気に放出しているため、胸元近傍には対応して上昇流が生じています。床面に排気口を設け場合は、排気口に向かう気流が観察されます。
下の図は、床近傍の水平断面であるD-D’断面の気流性状を示します。天井からの吹き出し気流は床面に衝突して四方に放散します。この放散する流れも排気口の位置に関
わらずほとんど変化しません。室内の空気の流れはほとんど給気口からの吹き出し噴流が決めています。
上の図は、廊下側から窓側部に至り入院患者の胸元付近を通る鉛直断面C-C’の空気齢SVE3の分布を示します。給気口からの清浄空気がどの程度の時間を経てその場所に到達 しているかを示しています。排気口を床面に付近に置いた場合、室内特に室上部や空気齢の値が大きくなり、清浄空気がこうした部分には効率よく到達していないことが分かり ます。空気齢の分布をみる限り、給気口1個、排気口1個の現設計が最も効率よく清浄空気を分配しているように思われます。
上の図は、同じく廊下側から窓側部に至り入院患者の胸元付近を通る鉛直断面C-C’の空気余命SVE6を示します。空気余命は、その場所の空気が排気口から排気されるまでの平
均時間を表します。値が小さいほど速やかに排気されることを意味します。排気口に近い部分は当然のことながら空気余命は小さくなっています。ここで入院患者が感染性のエア
ロゾルを放出していると仮定すると、入院患者の口元の空気余命は短いほど、感染性のエアロゾルの室内滞在時間が小さく、感染リスクは小さいことを意味します。図から見て取
れるように、排気口を患者近くの床面に配置するより、入院患者からの熱上昇流が天井に到達し、そこから排出されることになる天井に排気口を設けたほうが、空気余命が小さく
なることが見て取れます。また排気口の数が少ないほうが、空気余命が小さくなるように見えます。これは入院患者からの熱上昇流が天井に至るまでに多くの室内気流を誘引し、
流量が大きくなっていることが関係していると考えられます。排気口を分散して一つの排気口の処理風量が小さくなると、上昇流が天井面に到達した後、四方に放散する放散流を
部分的にしか処理できず、室内を循環する大きな流れに合流して再び室内下部に流れてしまうためと考えられます。これに比べ大流量の排気口は、各上昇流からは距離が遠くなる
ものもあるものの、熱上昇流が天井近くで四方に放散する流れを抑えてこれを吸引し、室内の大きな循環流への合流を抑えて排気するのではないかと考えられます。
最後の図は、下の図に、入院患者周辺すなわち呼吸域の空気齢SVE3と空気余命SVE6の値を棒グラフで示します。給気口に近い窓側の入院患者1(人体モデル1)と、給気口から
は遠い廊下側の入院患者2(人体モデル2)のいずれも、空気齢、空気余命とも排気口を天井部に一つだけ設けた現設計が最も値が小さく、換気の効率が良くなっていることが示
されています。排気口の位置の違いで、入院患者の口元の換気効率は3割程度の変化があることが見て取れます。入院患者は長い時間、病室に滞在します。3割の違いも、長い時間
で蓄積されて大きな違いになります。
なお、今回お示しした結果は、必ずしも一般化できないことを予め申し上げておきます。今回の解析例では、給気口が一つで、室内にできる循環流はこの給気口からの吹き出し
噴流が形成する大循環流の下で、排気口の位置を検討しています。天井部に設けた給気口から床に向かって吹き出された噴流は、床面に衝突して四方に放散し、四方の壁面で上昇
流となって室の上部に到達してその後、給気口の吹き出し噴流に向かって収束し、吹き出し噴流に誘引されて床面に向かう大循環流を形成します。このように形成された室内の大
循環流に対して、吹き出し噴流と等流量の排気口一つを設けた場合と排気口を分散させ、それぞれの排気口での排気流量は対応して小さくなる場合を検討したことになります。吹
き出し噴流で誘引される室内の大循環流の輸送効果がかなり大きいので、排気口の分散は、それほど効果を生まなかったものと考えています。
早期に新型コロナウィルス「COVID-19」の感染拡大が終息し、穏やかな日常が取り戻されることを祈念して筆をおきます。