「遍歴」というのは、あちらこちらを歩き回ることとか、いろいろな経験を重ねることという意味です。今回は、私が「BIMを始めるまでの遍歴」について、お話ししたいと思います。
前職の大和ハウス工業では、39年間勤めましたが、最初は建築の見積部門に配属されました。設計ではなく、数量を算出し見積を作るといった仕事です。最初は嫌でしたが、当時は他社設計やファブ(鉄骨工場を持っていたので鉄骨だけの仕事)などが多く、いろんな会社の図面を見たり、数字でモノを考えるといったことで、建築の基本を学べたのではないかと思います。見積を一つの戦略と考え、建物を作る方法をコストから考えるという仕事だと思うようになってからは、少し面白いと思うようになっていました。よき上司・先輩・後輩に恵まれて、比較的自由に仕事をできたことも社会人のスタートとしては良かったのではないかと思います。
当時はTQC活動というのが流行っていて、ここで業務の問題点を考えたり、いろんな事象を数値化して判断したりするということを知ることができました。まだ私は、若手社員でしたが、チーム名は「ITO(アイ・ティー・オー)」でした。チーム伊藤というのは少し恥ずかしかったので、その当時、私は「International TQC Organization」の略だと、言い張っていました。
TQCとは、総合的品質管理(Total Quality Control)のことで、業務の品質や効率などの改善に、統計的手法を使って取組み、小チームに分かれて活動し、成果を発表するという活動です。私のチームも、統計手法に強い先輩に導かれていたので、まずますの成果を上げていました。実はこの新入社員時代の取組みが、BIMにおけるプロセス改善の取組みに繋がっているのだと思っています。
約9年間見積の仕事をして、意匠設計に異動しました。見積の仕事が嫌になったわけではなく、見積の仕事を極めるためには、他の仕事も理解しなければならないと思ったからです。丁度、手書きからCADに移行しているような時代で、鉛筆の転がし方も、CADでの線の書き方も両方覚えなければなりませんでした。この意匠設計を数年経験した頃に、CAD室というものを作るという話になり、いきなりその東京CAD室の室長になりました。まだまだCADを使えない設計者が多かったので、手書きからCADに移行するという社内方針の元に、最初は多くの依頼を頂きました。しかし、設計者がCADを使えるようになると、設計自体ができないCADオペレーターに仕事を依頼するのが面倒だと言うことになり、徐々に仕事が減り、結局CAD室は解散することになりました。
CAD室の室長になって数年後、意匠設計との兼務はしない方がよいという話になり、CAD室に専念することになりましたが、実はCADがあまり好きではありませんでした。意匠設計の時代も、その当時のCADは、ごく簡単な3次元パースの線画も書けたので、企画図段階ではあまり立面図を書かず、線画のパースで処理をしていました。その後、意匠設計との兼務がなくなって少し時間ができたので、CGパースに本格的に取り組んでみることにしました。
その後、設計担当者がCADを使えるようになると、CAD室は解散することになりました。CAD室がなくなりましたが、CGグループとして、建築や住宅のパースや動画作成を行う部署になりました。
現在ではRevitやゲームエンジンによるプレゼンツールで、誰でも簡単に綺麗なパースを書くことができますが、その当時は、専門部署の担当者でないとCGパースを書くことが難しかったので、割と重宝されました。ソフトはいろいろ変わりましたが、最終的には、3ds MAXでのパースと動画作成に落ち着きました。
長い前置きでしたが、ここからがBIMとの出会いについての説明になります。ある関西の事業所の設計担当から、1本の電話が来ました。それは、受注のためのプレゼンとして、設計担当自身がパースをかけるようになりたいという話でした。もともとは営業所長の発想で、多少費用がかかってもかまわないから取り組んでみたいと言うことでした。
その時、CGグループで使っている3ds MAXを教えるという方法もありましたが、もう少し設計という業務に近い形でパースに取り組めるものはないか調べてみることにしました。というのは、MAXによるパース作成にはPhotoshopによるレタッチも必要となり、忙しい設計がそれを覚えて、パースを書くことは難しいと考えたからです。そこで、Autodeskの方に相談して、Revitというソフトがあるよと紹介して頂きました。2005年ぐらいのことです。話を聞くと、パースを書けるだけでなく、図面も書けるようになるとのこと、使えるようになると夢のようなソフトであると感じました。
そこで、Revitを関西の設計担当者に紹介することにしましたが、自分でも使ってみないと、サポートもできないということで、私の所属するCGグループでも1本Revitを購入することにました。しかし、その設計担当者は1年ほど取り組んだ挙句、自分でパースを書くことをあきらめることになりました。その当時は、パースを書こうにも部品(ファミリ)も足りず、Revitを学ぼうにも、わかりやすい教育資料もなかったからなのでしょう。そういう意味では失敗でしたが、私は手元に残ったRevitに可能性を感じて、まずはCGパースのモデリングとして使ってみることにしました。
このCGパースとしてのモデリングの活用と、Revitの可能性というテーマで、2006年に初めて日本で開催されたAutodesk University Japanにて、講演を行いました。ここで、高層マンションのCGパース作成における、モデリングソフトとしてのRevitの活用についてお話ししています。Revitでモデリングしたことは、階高の変更や外壁の色の変更などを途中で要求されましたが、3ds MAXとの連携がよく、それらの変更対応に容易に対応できることを説明したように記憶しています。
その当時の逸話として、Autodeskの営業担当だった方に、「伊藤さんは、RevitのEvangelistになりなさい」と言われたことを覚えています。その当時、RevitもEvangelistも意味はよく分かりませんでしたが、「ハイ、頑張ります」と答えました。Evangelist(エバンジェリスト)とは、キリスト教の伝道師という意味であり、RevitやBIMの技術や価値を人々に伝道する人になりなさいと言っていたということに気づいたのは、後になってからです。それから、私は「BIMのEvangelist」を目指すことにしました。
Autodesk University Japanでの講演以降、私のRevitへの関心はどんどん高まり、設計や施工でも使ってみたいと思うようになりました。そこで考えたことなどを、エクスナレッジのCAD&CGマガジンで4回の連載(2006年12月~2007年3月)をさせて頂きました。これは「Autodesk Revitで始める建築3次元設計」というタイトルで、三重県に建てた3階建ての商業施設について、Revitによる企画・モデル化・図面化・プレゼンなどの手法を説明したものです。これは後にAutodeskさんに小冊子にして頂きました。
この冊子を改めて手に取ってみて、あれから15年経って、我々は、どこまで進歩できたのかと考えさせられます。そしてこれからの15年で、我々は、どう変わってゆくのかを考えてみる必要があると思います。
私は、自称「BIMのEvangelist」として、あるべき建設業界姿を描き、皆さんを導いてゆきたいと思っています。