特集:「正しい換気」 シミュレーションから見たウイルスの拡散

 「正しい換気」を考えるには、建築設備の基本知識に基づいて、ウイルス拡散現象の過程を、1つ1つ定量的に積み上げる必要があります。

 

◆空中を浮遊するウイルス 
 世界を震撼させている新型コロナウイルス。 感染経路の分からない厄介なウイルスです。  しかし、陽性者から排出されたウイルスが何らかの形で他のものに移るのは確かです。  接触感染は置いておいて、空気感染・エアロゾル感染など、気流の動きによってウイ ルスが運ばれるのも事実のようです。

 咳などによってウイルスが空気中に吐出された後、何が起こっているのでしょうか?  陽性者が持っているウイルスは、肺や気道から飛沫となって体外に排出されます。  飛沫には水分とウイルス、体内の分泌物や途中で巻き込んだホコリなどが含まれ ます。 飛沫は体外に出ると急激に水分の蒸散が起こり、乾燥します。

 後にはウイルスとホコリ・分泌物の残滓が残り、空中を浮遊します。  マスクをしていれば途中で飛沫はトラップされますが、もしも無く てたまたま近くに人が居れば、その人の体表面に付着します。 マス クをしていれば感染の予防効果があるのは当然です。 何らかの形で ウイルスは空気中を旅して、次の宿主にたどり着くのです。 

 ウイルスの大きさは1ミクロン以下。 空気中の粒子は、その粒径と密度に よって所定の終端速度で落下しますが、周囲の気流速度が終端速度よりも大き い場合、粒子はいつまでも空中を舞っている場合があります。 「プルトニウ ムは重いから飛ばない」と言った大学の先生が居たようですが、プルトニウム も微粒子化すればわずかな風速で飛びます。

◆換気回数とは 
  換気回数は建築設備分野での専門用語で、ある部屋の空気が1時間に何回入 れ替わるかという指標です。 例えば30立米の部屋があったとして、1時間60立米の 換気があったなら、換気回数は2回になります。 一般に建築基準法では、住宅 などの居室で、換気回数0.5回以上である事を求められます。 これは2時間以下 で、その部屋の空気が全部入れ替わる事です。 

 用途で、必要とされる換気回数は変わります。 倉庫などでは1回換気、 オフィスなどでは3~4回換気を求められる事があります。 データセンターでは 20~30回換気、最も多い例では塗装ブースが100回を大幅に上回る換気回数の 場合があります。 ウイルスによる感染防止の観点では、換気回数は多ければ 多い方が良いのは当然です。 部屋に取り込む外気は、ウイルスがないものと 仮定されているからです。

◆人数から見た適正な換気量 
  成人一人の呼気量は1回500ccと言われます。 1分間に18回程度呼吸すると して、毎分9リットルの息を周りに吐き出している事になります。 これは1時 間では540リットルになります。 それに対して、例えば6畳間の容積は2.7m× 3.6m×2.5mで24.3立米。 0.5回換気に必要な空気量は、1時間に12立米ほどになり ます。 

 成人一人の1時間の呼気量が0.54立米でしたから、これで部屋の換気量を割ると 希釈率は22.2倍。 人間の吐いた空気は、20倍以上に希釈される事になります。 どの程度まで濃厚な空気を摂取したらヤバイかと言う事ですが、例えばおおま かな目安として、10%以上の他人の呼気を吸うのは好ましくないとしましょう か。 そう仮定すると、希釈率は10倍以上が必要で、6畳間なら二人程度が一 緒に居る事を許される限界になります。

 これが広めの会議室ならどうでしょう。 ある貸会議室は、面積250㎡・高さ3.5m で132名収容です。 部屋の気積が875立米として0.5回換気の空気量は約437立米。  132名分の1時間の呼気量が約71立米だと、換気による希釈率は6.15倍ほどになり ます。 これは6畳間で二人程度での希釈率10倍(10%)よりかなり低く、もし 人員の中に陽性者が居れば感染のリスクは高まるでしょう。 広い部屋だからと言って安心できません。

 3密の中の「換気の悪い密閉空間」は、適当な仮定を設けることでこのように ある程度定量化出来る事が分かります。 この会議室では、換気量を倍にする か、収容人員を半分にすれば、呼気の希釈率は10%以下に出来ます。

◆ウイルス濃度 
  以上の話の中ではいくつか曖昧な点があり、その1つがウイルス濃度です。 例えば、結核などは菌が1個体内に入れば結核に罹ります。 それに対してイ ンフルエンザは、ウイルスが100万個入らないと発症しません。 エボラであれば この中間の数字なのでしょうが、コロナウイルスの場合はどのくらいのウイルス 濃度で発症するのか、まだよく分かっていません。

 また、陽性の人間の呼気の中にどのくらいの数のウイルスが居るのか、これ もよく解明されていません。 発症に至るウイルス濃度も、ウイルスを受けた 人間の体調によるのですが、これも今後のデータ待ちです。

 という事なのですが、例えば希釈率1倍(100%)とすると、これはマウス toマウスで陽性者かも知れない人の呼気の半分を吸い取っている訳ですから一 発で罹患するでしょう。かと言って100倍(1%)の希釈率ではまず発症しないの では?だからエイヤで10倍(10%)としています。 当たらずとも遠からずと思っています。

◆部屋のどこに居れば良いか 
  建築物の内部空間には多くの場合、換気のための吹出し(SA:Supply Air) と吸込み(RA:Return Air)があります。 換気には一般的に1種から4種まで の方法がありますが、その種類に関わらず吸込みの近くには、その空間の空気 が集まって来る傾向があります。 つまり、その空間に居る人が吐いた呼気は 一旦全てそこに集まって来ると考えられます。 

 もしその空間に感染者が居れば、その人がどこに居ようがその人が吐いた呼 気は吸込みに集まって来ます。 吸込みの数が限定されているほど、換気回数 が大きいほど、この傾向は強くなります。 どこが吸込みかは手を当ててみれ ば分かります。 ドラフトを感じるはずです。

 逆に吹出しの近くにいればより安全と言えなくもないですが、その吹出しが OA(外気)ではなくSAで、フィルターなしで循環している空気なら、他の部屋 に居る人達の呼気を吸う事になっているかも知れません。 心配なら設備図面 で、そのビルなりフロアのSAとRAなどの配置を確認しましょう。

 なお会議室は、天井カセットと言うエアコンで空調されている場合が多いで すが、真ん中が吸込みになっているので、真下には居ない方が言いかも知れま せん。 更に、人体の周りには体温により数10cm/secの上昇流(プリューム) が形成されている事が知られています。 この上昇流によって、人は周辺の汚 染された空気を吸う事から守られています。 人は、自分の身体に沿って上昇 してきた、下方の比較的清浄な空気を吸っているのです。

 但し、この上昇流を崩すような気流や、咳などの激しい呼気に出会った場合 には、この防御は効果が薄くなります。 また、この上昇流と呼気の温度によ る熱対流で、呼気の大半は部屋の上方に昇り滞留する事になります。 喫煙者が多い空間では、天井の方に行くほど煙が濃い状態になっていますが、この理 由によるものです。 流体力学的には安定成層と呼ばれます。

◆どこが淀むか ―換気効率指標― 
 自分が居る部屋のどこが淀むかは重要な問題です。 先に述べたように、吸 込み近くにはその部屋にいる人の呼気が集まってきますが、もう1つ注意すべ きは空気が淀む場所には呼気が滞留している可能性がある事です。 滞留した からと言って呼気が濃縮する事は考えられませんが、集まって来た呼気塊が大 きくなる事は大いに有り得ます。  

 呼気塊の近くに人が居れば、その空気を人が吸う事になります。 部屋の中 にそのような淀みが生じるような設計は、基本的に望ましくないと言えます。 ではどうすれば良いのでしょうか。 呼気を想定した濃度の移流拡散シミュレ ーションを行う事が1つのアプローチとして考えられますが、拡散源の位置や発生量の設定などを変えて、何パターンも解析するのは煩雑です。

 もう1つ有力な淀み点の予測手法は、換気効率指標(SVE)解析です。  東大名誉教授加藤信介先生の提案されたこの手法は、空間の中の空気について、 入って来た時からの経過時間(空気齢:SVE3)と、あとどのくらいの時間で出て行くか(空気余命:SVE6)を評価します。 解析には、CFDの結果を元にした 所定の移流拡散計算を行います。

 換気効率の立場で言えば、空気齢(SVE3)が大きい場所は呼気が集まり危険 と分かります。 空気齢が小さければ比較的安全と言えます。 空気余命で考えると、小さい場所が危険で大きい場所が安全となります。 換気効率指標は 空間内の空気の淀み箇所を適確に評価出来る優れた評価手法です。 もっと普 及して活用されるべきでしょう。

 化学工学では滞留時間と言う指標がありますが、計算しても淀み点の評価は 適切に出来ません。 実は空気齢と空気余命を足すと滞留時間になりますが、 加藤先生は、滞留時間の考え方とは関係なく、Visitation Frequencyの理論 に基づいて、換気効率指標を考案されました。 換気効率指標解析はWindPerfectで可能です。

◆ダイヤモンドプリンセスの換気  
  いささか旧聞に属しますが、豪華客船ダイヤモンドプリンセスの空調システ ムの情報が次のリンクにあります。
<大型客船についての空調システム設計についての紹介>

 これによると、客室キャビンの空調換気は外気30%、循環風70%とのこと。 途中に一般的なフイルターは挟まっていますが、既に発症している人たちの呼 気を吸い込む訳で、分かっている人達は生きた心地がしなかったかも知れませ ん。 ちなみに医療ゾーン・厨房ゾーンは外気100%とのことでした。 またこのURLの終わりの方に、送風量26500立米/分とあります。 ダイヤモンドプ リンセスの大きさが長さ290m、幅37.5m、喫水からの高さが54mだそうですから、 半分が気積として26500×60分/293625=5.415で、換気回数としては十分なよう に見えます。
<ダイヤモンドプリンセス (客船)>

 しかしその風量を、88台のAHU(エアハンドリングユニット)で賄っていた ようですから、AHU1台で数10室程度の空間の換気を担保していたのでしょう。 換気ダクトには圧損がありますから、部屋によっては極端に換気の悪い所もあ ったでしょう。 つまりダクトには圧力損失がありますから、連通管の原理に 従って送風元に近い所よりも末端の方が格段に風量が多くなります。 普通は末端に行くほどダクトの管径を絞るのですが、均一の径でダクトを作ると、送風元に近い部屋は 全く風量が出ない事が考えられ、所定の換気回数は維持できていなかったかも知れません。

 換気は一般に室内のCO2濃度が1000PPMにならないようにすることが労働安全衛生法で決められており、通常は600PPMから700PPmになるようAHUの換気設定をします。 また厨房では、発生する熱気・蒸気を逃がすための換気設定もする ので、40回/h以上の換気回数を取りますし、トイレは衛生上の問題で通常10回以上の換気回数を取ります。

 普通の事務室やホテルの客室、学校の教室も6回/h程度の換気が一般的ですし、医療現場や診察室では6回/h以上を必要とします。 それもウイルスを通 さないHEPAフィルターを通して循環し、屋内感染を避けるようにしています。 HEPAフィルターは医療用のN95マスクと同等の性能があるそうです。 それらを 考えると、ダイヤモンドプリンセスの、全体で平均5回/hの換気と言うのは足りていない可能性があります。

◆正圧制御と陰圧制御 
 一般に部屋の中の給気風量を過大にして部屋の中の正圧力を保つ方法を正圧制御と呼びます。 逆に排気風量を過大にして部屋の中の負圧を保つ方法を陰圧制御と呼びます。 例えば、病院の手術室などは外部から細菌などが侵入したら困るので正圧制御が採用される事が多いです。 喫煙室は廊下などに中の汚い空気が漏れたら有害なので陰圧制御が選ばれます。 

 前回までのお話を聞いて頂けた方にはお分かりでしょうが、正圧制御の部屋では場所を特定出来ない事もありますが、概ね前室や廊下などに繋がる扉周辺で漏気が起こっています。 設定された吸込み口(RA)以外に、そういった場所に中の人達の呼気が集まると予想されます。

 また陰圧制御の喫煙室では、扉で0.3m/secのドラフトを作ってVOCの多い汚い 空気を廊下などに出さないようにしていますが、扉とは逆側の有圧扇などの排 気の近くが危険と言う事になります。 この場合、ウイルスとVOCのダルパン チになる事は言うまでもありません。

◆コールドドラフト 
 コールドドラフトとは、冬季に窓際や壁際近くに発生する下降気流の事です。 一般に冷えた外気に面した場所で起こります。 断熱の悪いオフィスや工場で よく見られる現象です。 冷えた日にその近くに立つと、降りてくる冷気を感 じますからすぐ分かります。 

 問題はこのコールドドラフトが、天井近くに溜まった空気を下方に引きずり 下ろす事です。 前回、人の周りには体温による上昇流が発生していて、呼気 も含む空気を天井方向に運んでいます。 その空間に感染者が居た場合、その 呼気は天井付近に溜まっている事が予想されます。 必ずとは言いませんが、 コールドドラフトは天井に溜まったその空気を、下方にまた運んでいる可能性 があります。 

◆暖房機器の影響 
 人間は一人当たり50kcal/時の熱量を発しているとされます。 そのために 起こる上昇気流の風速が約0.3m/secでした。 それに対してストーブなどの暖 房器具は、1kWくらいの容量のものが多いですが、やはり大きな上昇流を周り に発生させていると見るのが普通でしょう。 

 仮に他の空調が全くない部屋でストーブを焚いていると、その上昇流のため に部屋の空気がそこに全て集まって来る事になります。 感染者が居る部屋で は、ストーブの周りに集まって長時間話していたりするのは考えものです。

◆窓・ガラリ・換気扇 
 換気のために窓を開けると言うのは普通にされている事ですし、3密を避け る方法としても推奨されています。 しかし窓を開けた際のCFDによる換気シ ミュレーションは、意外と一筋縄ではいきません。 先ず、窓の開口状態(引 き戸式・観音開き・縦すべり窓)が一様ではありませんし、開度も全開とは限 りません。 

 また窓の換気では質量保存の立場で言うと、その窓の平面内で流入と流出が ありますから、それらが収支が取れていないと行けません。 必ず吹き込んだ 風の分だけ出て行く風があるのです。 その上、自然界の風は一定の風向と風 速で必ず吹く訳ではなく、常に風向や風速が変化し続けます。 これを間欠風 と呼びますが、一定風に比べて間欠風は室内への進入能力が低い事が知られて います。 定常計算で求めたCFD結果で換気風量を決めるのは、概して過大評 価になりがちです。

 ガラリはドアや窓などにもうけた通気口のことです。 基本的には窓と同じ 扱いで良いですが、ルーバーなどが設けられている場合が多いので、当然通気 抵抗を考えなければなりません。 ガラリは語源が、グリルがなまったという 説と、英語のGalleryから来た説の2つがあるそうですが、建築設備では頻繁 に使う用語です。

 換気扇は、建築では有圧扇と呼ばれる事が多いです。 但し一般建築では、 家庭用のものとは異なるかなり大きい機種が使われる事が多いようです。 工 場などでは、有圧扇と循環ファンを複数使った換気計画を立てるのが定番にな っています。 有圧扇は給気にも排気にも使われます。 排気側にその空間の 空気が集まって来るのは今まで説明したとおりです。