筆者は大学院時代が6年と長かったこともあり、学生(院生)時代からの知り合いである現大学教授が数多くいます。当時の同僚や先輩、後輩は現在大先生ぞろいです。筆者はこのような人脈を利用して様々な先生と共同研究を行ってきました。VRについても例外ではありません。VRシステムは主に独自開発しましたが、その適用では何人かの先生との共同研究を行いました。例えばW大T教授(現日本建築学会会長)、K大I教授(同副会長)、KG大S教授(当時副学長)等です。(肩書からお名前は丸わかりでイニシャル表記する意味は全くありませんが、今までのコラムとの整合性をとるためにこのようにさせていただきます。)
W大T教授は我が国における建築環境工学、特に温熱快適性研究の第一人者です。
T教授との共同研究では環境弱者である病院内の患者さん周りの温熱環境を詳細に解析し、病室内や人体温度の解析結果をVR表示する手法を検討しました。特に病室の空間形状や空調方式を考える上でVRを用いた患者の歩行やベッドへの上り下りのモーションキャプチャーは大変有効でした。
一方、K大I教授とは当時筆者がK大の非常勤講師であったこともあり、数多くの共同研究を行いました。I教授はCASBEEや建築界におけるSDGs研究の代表的研究者でもあります。I教授とのVR共同研究の経緯は以下のようなものです。
建築環境の主目的は室内の温熱・光・音等の快適性の維持・向上です。しかし、当時恩師のT大M教授やK大I教授等が中心となってもう一つの大きな研究の柱がたてられようとしていました。それは建築空間における知的生産性の向上というものでした。
確かにあらゆる組織にとって執務者の知的生産性を高めることは大変重要です。一般オフィスにおいて執務者がやる気を出し、能力を最大限発揮できるようであれば、仕事の質も向上し(残業や病欠も減り)、企業の収益も上がります。これを広く全国展開できれば我国の国力全体を押し上げていくことになります。このような知的生産性が高い建築では不動産価値も上がることから、建築環境の価値(重要性)が改めて見直されることにもなります。
そして、このような知的生産性を高める建築・執務空間を提供することは建築環境研究者の責務であると考えられました。このコンセプトは国土交通省も動かし、知的生産性コンソーシアム(委員長M教授)が設立され上記両教授や筆者も同組織の委員メンバーになりました。知的生産性が下がるような空間は簡単で快適性を損えばそれで済みます。(暑くて、やかましい空間等) しかし、知的生産性を高めるとなると一転して複雑な難問となります。
知的生産性の考え方・感じ方については執務者間の個人差が大きく、快適性のように数値指標の一般化は困難であることは明らかです。数値化は困難としても知的生産性の指標はいくつか考えられ、例えば執務者にとっての「空間の印象,作業のしやすさ」などがあげられます。これらの曖昧な?内容を検討するには執務者の心理を引き出す何らかの手法が必要でした。そこで筆者はこのテーマに対しVR技術の適用を提案しました。すなわち従来の温熱・光等の環境解析結果と合わせて,被験者に空間の印象や作業のしやすさをVR上で体感・評価させるのですがポイントは被験者がVR空間に入って(自分ならこういう空間にすれば知的生産性が高まる)と自主的に空間設計していくという手法にありました。この手法の採用には被験者心理実験の大家である冒頭のS教授(KG大)のご意見が大変参考になりました。そのような背景の元、知的生産性研究が専門のI教授グループとVRが得意?な筆者らがこのテーマで共同研究を行うことになり、数多くの興味ある結果を得ることが出来ました。特に「VRを用いて知的生産性の高い空間を設計するという考え方・手法」を研究成果として提示することができたことは大変良かったと感じています。オフィス等における知的生産性の意義は現在広く認識されており、近年ではコンペ等の要件にも採用されるに至っています。
建築環境設計においてこのような人間心理に関係する研究ジャンルまでVRを適用することが出来たのは、VRという技術の「懐の深さ」によるものと改めて感じる事例でもありました。