筆者は室内温熱環境や屋外の風環境、ヒートアイランド解析を主なCFDの適用先としてきましたが、それ以外にも重要な適用対象として火災&排煙解析がありました。火災は人類史において最も身近な災害であり、長い歴史の中で様々な対策検討が行われてきたにも拘わらず、最近においても未だ悲惨な火災事故のニュースが後を絶たないのは大変残念なことです。火災&排煙は一般に地震、台風、津波と合わせて「防災」というジャンルに属しますが、煙や熱の挙動という点では「環境解析」の延長上にあるため、環境研究者が本分野を担当することが良くあります。近年この分野の研究が活発になった一因として避難安全検証法の制定があります。同法は火災が発生した場合、室内のすべての人が完全に避難しきるまで煙やガスが降下してこないことを検証するものです。この検証が認められれば防火区画の緩和等の設計自由度の向上や排煙風量削減等のコスト削減が可能になります。当時より腕に自信のある大学や各研究機関はこぞってこの分野にチャレンジしていった感があります。この問題は大別すると発生する煙側と避難する人間側に分かれます。当然この両者は「追いかけっこ」となるため両者を同時に検討することが必要になります。この避難シミュレーション技術も近年はマルチエージェントモデル(逃げる一人ひとりの人間に個性をもたせる)の採用など大きく進展しています。
今回のコラムでは前半の煙制御関係についてお話します。火災性状の解析方法には2種類あり、ひとつは良く知られている2層ゾーンモデル、もうひとつはCFDによるフィールドモデルです。2層ゾーンモデルでは火災室を煙が充満する上部の煙層と煙がない下部の空気層に大別し各々のゾーンの煙や空気の流れを解析するものです。
このモデルは計算上の取扱いが容易であることから従来より多用されてきました。しかし 2層ゾーンモデルは煙層と空気層の明確な分離という前提条件を伴っており、現実にはこの条件が成立しないケースも充分想定されます。これを補うため各社、各大学で「CFDを用いたフィールドモデルの研究」が活発に行われるようになりました。本分野に限らず解析ソフトの妥当性を検討するには信頼性の高い実験・実測との比較検証が必要です。筆者らもこれらの両モデルの検証のため何回か火災実験を行いました。最初に筆者等が行った火災実験は30年ほど前になりますが、某複合施設内のアトリウム空間での排煙・畜煙実験でした。(煙降下が遅いと判断できれば排煙ではなく畜煙という対応も考えられます。)
実験はアトリウムの1Fでアルコールパンを燃焼させ、近傍に設置した発煙筒による煙の挙動を観察したものです。アトリウム区画シャッター、出入り口開閉、トップライト開閉を組み合わせたいくつかの条件下で行いました。いずれの実験ケースにおいても煙層温度や空気層高さが時間進行とともに変化していきますが、これらを2層ゾーンモデルの計算結果と比較すると畜煙では傾向、数値とも比較的良く一致しましたが、排煙では空気層高さ、煙層温度ともかなり差がありました。これは屋外気流の影響を2層ゾーンモデルでは捉えきれなかったためです。当時は筆者らの本分野におけるCFD解析技術はやや手探り状態の感もあり、特に火源のモデル化に悩んでいました。この火源のモデル化の考え方には当時CFDのコンサルティングをお願いしていたR 社のS氏に貴重なご意見をいただきました。その効果もあり、CFD解析の結果は畜煙、排煙とも2層ゾーンモデルに比べ良い対応結果が得られました。
火災・排煙は人命維持に直結するため、通常の環境シミュレーションに比べ神経を使います。火災現象を厳密に捉えるには空気密度の変化、放射の影響、乱流モデル等の様々な検討が必要です。しかし、火災排煙解析で強く感じることはシナリオ想定(条件設定)がこれらの詳細な物理モデルの影響を大きく上回るということです。
例えばその当時行った開閉式ドームの火災排煙解析では、火災位置や大きさ、風や積雪の有無、屋根開閉の有無等を組み合わると膨大な解析数(シナリオ数)になり、かつ各々の状況で解はダイナミックに変化します。詳細な物理モデルを使用してもそのシナリオがピントはずれであれば全く意味がありません。従って実務における防災・火災設計にはまずは「本質を見抜くシナリオ(条件設定)構成力」とそれに応じた「大局観に基づく解析力」が極めて重要であると考えられます。