第十夜 見なくてよい尻尾

 第九夜に引き続き、見たいものを見るようにするために、流れの自由度を制限する固体壁のモデリングについて考えてみます。 前回は、見たいもの見るためには、実験やシミュレーションの際に行われるモデリングについて述べました。今回は、見たいもの を見ることは、見なくてよいものを省くことと考え、見なくてよい「流れの尻尾」を考えます。基本は見なくて良い流れの原因と なる流れの障害物と、これにより引き起こされる「流れの尻尾」です。流れには方向性があります。上流から下流に向かって流れ ます。流れに障害物があれば、障害物が頭になり、影響は頭から下流の尻尾に及びます。上流は下流の性状に影響を与えますが、 下流は上流に大きな影響を与えません。循環流が生じていれば、輪廻の因果により下流も上流に影響を与えます。

 一方向の流れと言えば、祖先から子孫に続く我々、人々の営みも一方向です。先祖から子孫に引き継がれる血も、祖父母から 父母へと受け継がれ、父母から自分達へと受け継がれますが、自分達の血が、父母や祖父母の血に作用することはありません。 時の流れと同じく一方向です。ところで、先祖の悪行は一体、何代先の子孫にまで影響を与えるのでしょうか。封建時代であれ ば、親の悪行は子や孫にも影響し、一族皆殺しになってしまったかもしれません。血が絶えてしまうのですから、その影響はこ の世が果てるまで続くということかもしれません。それほどでなくとも、孫、子の時代まで影響が続くことは、それほど稀でな かったかもしれません。しかしながら、近代の民主主義の時代であれば、成人して親の監督権から離れれば、独立していますか ら、ほとんどの場合、親の悪行が子の生活に大きく関わることは、制度上ありません。実質的にもそうであることを信じたいと 思います。親の悪行ではなく、親の築いた財産はどうでしょうか。我が国、日本は、比較的高率の相続税が課せられています。 (ずる?)賢い人々は様々な手法を用いて築いた財産の支配権を子孫に残すことも可能かもしれません。しかし、何もしなけれ ば、親が築いた(庶民から見て)大きな財産は、相続しても子や孫がその親に勝るほどの努力をしない限り、およそ三代でほと んど失われてしまうと考えてもよいでしょう。特に大きな才覚があるわけでもなく、毎日、まじめに働いて日々の糧を得る我々 庶民にとっては、なかなかに良い制度のようにも思えます。祖先から子孫に向かう人の社会の流れの中でも、祖先の社会的な影 響は、子孫に長く継承されないことが普通です。

 流れの、このような一方向に伝わる影響がある程度の範囲に限られる性質は、実験やシミュレーションに際して行われるモデ リングを考える際に有効になります。Wake(後流)を考えてみましょう。流れの障害となる物体が3次元的か2次元的かによりそ の下流に与える影響(例えば流速の減少)の範囲は違いますが、障害物の特徴的なスケール(障害物の高さや幅など)の10倍以 上、下流になれば、流れへの影響は1/10程度以下、すなわちOneOrder(1オーダー)小さくなると一般に考えてもそれほど、外 れていないでしょう。流れに直角方向はどうでしょうか。流れへの影響が1/10以上の領域は、障害物の特徴的なスケール幅、程 度以下ではないでしょうか。子供のころ、橋の上からぼーと橋の下の水の流れを眺めていたことが度々あります。橋脚の影響で くるくると渦を巻く流れを見るのは飽きが来ませんでした。この橋脚の下流で生じる波紋はそれほど長く続きません。大学に入 って流体力学を知ってからの知識になりますが、水面の高さは流れの静圧を示すもので、低い水面は静圧が下がっていることを 示します。橋脚を通り過ぎた水面の高さの変化も、下流に長くは続きません。橋脚の横方向の影響を見ても、せいぜいその幅程 度です。仕事や勉強に疲れたら、橋脚を通り過ぎる川の流れをぼーっと見るのも良いかもしれません。橋脚のように孤立した流 れの障害物が流れに与える影響、特に流速や圧力の変化が10%以上の領域は、それほど大きくありません。ゆったりとした川の流 れに比べれば、橋脚が川の流れに及ぼす影響などたいしたものではなく、あるいは無視できるほどのものでしょう。

 ただし、流れの障害物がグループを形成していると話が少し変わります。毛利家の家訓ではありませんが、一本の矢は簡単に へし折ることができても、三本の矢をへし折るには、相当の力が要ります。1人ではなく3人力を合わせれば、その数以上に強く なります。障害物がグループを形成していると、これを個別に扱うことはできず、流れへの影響はグループの特徴的なスケール (グループの占める幅や高さなど)で影響を見積もる必要があります。

 さて、この流れの障害物や障害物のグループは、果たして観察したい流れの特徴に大きな影響を及ぼしているのか、あるいは そうではないかということを見きわめなければなりません。大きな川の流れの中で橋脚の影響は取るに足らないものでした。し かしながら、別の視点もあります。流れ現象は、非線形でカオス的な様相を示すので、ちょっとした境界条件の違いや初期条件 の違いが、カオス的な乱流の瞬時瞬時の性状やその局所的な性状に与える影響は多大です。その意味でカオス的な乱流性状の瞬 時瞬時の様相に着目するなら取るに足らない小さな障害物の影響も重要であることは疑いありません。まさにバタフライ効果で す。でも、流れの時間平均的な性状、アンサンブル平均的な性状に解析の目的があるのであれば、実験やシミュレーションにお いて、このような乱流のカオス的な性状の再現に、注力する必要はありません。極言すれば、多くの場合は無視できます。

 先ほど、障害物や障害物のグループの影響(流れの尻尾)は、流れ方向で、下流に向かってその障害物の特徴的なスケールの 10倍程度、流れの横方向であれば、その特徴的なスケール幅、以下であることが多いと述べました。見たいものが、このような 小さな流れの尻尾ではなく、より大きなスケールで生じる流れの性状であれば、こうした小さなスケールの流れの尻尾を子細に 再現する必要はありません。まずは、見たい流れを再現する大きなスケールの形状を再現し、小さな流れの尻尾を生み出す小さ なスケールの形状は再現しないモデリングで十分と思われます。

 ここで、しかしながら皆様には注意をしていただきたいことがあります。大きく立派な堤防も、アリの穴ほどの「ほころび」で 壊れてしまうこともあると言います。小さなことも疎かにするなという教訓です。小さな形状を無視するモデリングにも、この警 鐘はあてはまります。例えば、剥離が生じるようなSharpEdgeの直前に小さな障害物があれば、剥離性状に影響を与えることが知ら れています。小さな障害物を再現しないモデリングは実現象との対応が大きく毀損されます。モデリングは、常に実現象との対応 を考える検証が必要とされます。モデリングによるマイナス面のチェックが必要です。チェックは、モデリングにより単純な形状 にした解析と、モデリングにより無視した障害物を再現したモデルで行う解析を比べることで実行できます。

 「何だ、では最初から小さな障害物を再現したモデルで解析すれば良いじゃないか?」と思われる方もいるでしょう。そうかも しれません。しかし、流れの解析は、境界条件や初期条件を一つだけの条件で行うような場合はめったにありません。流れ性状に 関わる様々なパラメータを変えて、幾度も実験やシミュレーションを繰り返し、観察することがほとんどです。形状のモデリング のチェックはすべてのケースで行う必要はありません。代表性があると思われる一つのケースに限り、単純な形状のモデリングに よる流れ場と、複雑な形状を適当に再現したモデリング(すべてを再現する必要はありません。単純化した形状より一段階、細か い形状を再現した形状で十分です)による流れ場を比べてみることです。学術的な研究であれば、このモデリングのチェックは必 ず必要です。実務的な検討であれば過去十分な経験があれば、あるいはこの検討は省かれるかもしれません。しかし、実現象との 対応を考える限り、モデリングの妥当性が、常に問われることは忘れてはなりません。