物はあるけれど見えない喩えに「闇夜の烏」があります。「雪に鷺」も同様です。人の視覚による認知は、網膜に映った画像に対して輪郭抽出を行い、
輪郭線で描かれたパターンに対して、過去に記憶のパターンの中から類似性の高いものが抽出され、物の認知が行われる訳ですから、背景と物の輪郭線の
抽出が難しいものは、当然認知されません。物の輪郭線が見えるような背景の下でないと、視覚に頼って狩りをする動物は、獲物を捕らえることができな
いわけです。
輪郭線は、境界を表します。輪郭線の内側は対象となるもの。輪郭線の外側は、対象となるものの背景。境界が存在することで対象物とその背景が区別
されます。流れの解析では境界がはっきりしないけど、流れの対象を区別することが良くあります。典型的なものが、固体壁沿いに発達する境界層の外縁、
吹き出し口から噴出するジェット、物体背後の後流などです。境界層、噴流、後流などは、その特性が良く観察され、その特徴が比較的よく把握されていて、
工学的な応用が図られています。ところで境界層や噴流、後流などに、輪郭線はあるのでしょうか?
工学的応用を考え、ものを作る際には、すべてを一人ではできないことが多く、こうした場合、自分以外の人の助けを借りて共同で作業することになります。
共同で作業する各作業の分担者が作業内容を理解するため、作ろうとするものの概念をなにがしか、共有することが必要となります。概念の共有がなされなけれ
ば、共同作業により、目指す良いものの作成はできません。自分の分担する作業が全体のどの部分にあたるのか、自分の分担がほかの人の作業にどのような影響、
相互作用をもたらすのか、把握していないと良い作業はできません。概念の共有にあたっては、ものの定義が共有される必要があります。ものの定義では、物の
範囲を示す輪郭線も重要です。輪郭線が曖昧でどこからが「烏」でどこからが「闇夜」か分からないと困ります。大変長い前置きで申し訳ありませんでしたが、
ここで流れの問題を考えます。一体、境界層や、噴流、後流の輪郭線は、どこにあるのでしょうか。流体力学の教科書を見ると、境界層や噴流、後流を示す挿絵
が書かれています。挿絵として理解できるので、輪郭線が描かれているはずです。輪郭線が曖昧なのに輪郭線が描けるなんて不思議ですね。
境界層や噴流、後流の輪郭線は、一意的に決めることは難しいですが、一般的には流れの平均速度で、定義しているようです。場所の違いによりものの違いが
生じている輪郭線という意味では、平均速度というよりは、場所の違いにより速度がどれぐらい違うかを示す平均速度勾配が使われているといってもよいかもし
れません。輪郭線は境界を示すので、輪郭線を超えると、そのものを特徴づける何かが変わるはずです。流れを特徴づけるものは、流れの速度や圧力ですから、
輪郭線を超えると平均速度、平均速度勾配、圧力などの流れの特徴量が不連続に変化してくれれば、その場所が輪郭線ということになるのでしょう。でもしかし
、我々が知る流れは連続的に変化することが多く、輪郭線を定義できるほど明確に不連続に変わることはありません。輪郭線は明確には定義できないことになり
ます。多くの場合、境界層や後流であれば、境界層外の流れ(境界層から十分遠い場所の流れ)の平均速度が1%もしくは5%程度小さくなるところに輪郭線をおき
、噴流であれば、噴流の流れ方向の直角方向に流れの平均速度が1%もしくは5%になる場所に輪郭線をおいていることが多いようです。1%や5%という数字は
、別に大きな物理的意味があるわけではないので、皆さんがすきずきに変えています。
流体シミュレーションが一般的になった今日、流れの教科書に良く論じられていた、境界層や、噴流、後流などが、軽んじられている気がします。流れのシミュ
レーションでは、流れの特徴量である平均風速も平均速度勾配も圧力も流れのすべての地点で明解に算出されます。であれば、輪郭線の定義に1%や5%などとい
った曖昧さはありますが、流れの平均風速のベクトル分布図や、その他、等値線ばかりでなく、境界層や、噴流、後流など、流れの特徴的な部分の輪郭線を描き、
更には色塗りして、その形を観察し、流体力学の教科書に載っている、境界層や噴流、後流の特性とどのように一致し、また一致していないかを確認することを
お勧めします。もし、教科書通りの形であれば、わざわざ流体シミュレーションにより解析する必要がなかった事例かもしれません。教科書と違った形であれば、
その違いがどうして生じたかを考えることは、流れの構造をより深く知る手がかりとなるかもしれません。手がかりを得て、今後より合理的な流れの設計ができ
るようになるかもしれません。