第三十六夜 創造

 AI、人工知能が脚光を浴びています。大規模なデータベースを、ディープラーニングで解析し、統計的に因果関係を見出して、データベースの背後にある、あるいはデータベースを生み出す、巨大なシステムの因果のフローを解析し、人がシステムを直感的に理解することを可能にし、またその巨大なシステムを上手に管理・運営することが行われるようになってきています。ディープラーニングは一種統計的にシステムを学習することですから、これを新たなシステムを生み出す創造に結び付けることは、難しいと考える人も多いかもしれません。ところで、創造することとは、いったいどのようなことなのでしょうか。

 ネット社会ですので、「創造することとはどのようなこと」をネットで検索すると、結構な量、その解説がヒットします。筆者の感覚と同じようなものもあれば、少し違うものもあります。創造に対するイメージは、人それぞれで、ある程度ばらつきがあるようです。必ずしも皆様の賛同を得られるとは思いませんが、筆者の思う創造に少し触れたいと思います。

 筆者の創造のイメージは、生物の進化から来ています。地球上の生命体は、細菌、動物や植物に関わらず、基本的にDNAもしくはRNAによる遺伝子を持ち、その遺伝子情報が生命体を形作り、子孫にその遺伝子情報を伝達しています。生命の進化は遺伝子情報の進化に対応しているというのが、現在の生命科学の指し示すところと言えます。遺伝子情報の進化は、生命の基本単位の細胞が分裂して2つの細胞になる際に生じる遺伝子のコピーの際に生じるミスコピーによるものと説明されています。2020年2021年の今、人間社会を騒がせている新型コロナウィルスは、他の細胞に寄生しない限り、単独では自己の遺伝子コピーができず、また代謝活動もしないため生命体とは言われていませんが、人の細胞に感染して増殖、遺伝子コピーを繰り返す過程で、様々な変異ウィルスとして変化していく、すなわち進化していきます。生命体の遺伝子も、同様に細胞分裂の過程で同様のミスコピーを繰り返します。個体内での細胞分裂でのミスコピーであれば、種全体に広がることなく、その個体の死とともにミスコピーした遺伝子情報は消えてしまいますが、死ぬ前に、生殖により新たな個体にその遺伝子情報を伝えていれば、世代を重ねるたびにその遺伝子情報は種全体に拡散し、やがて種としての進化が明確になります。地球誕生以来数十億年の年月をかけて様々な生命体が生み出されてきた、この過程こそ、偉大なる数々の創造の典型といえるのではないでしょうか。

 遺伝子情報のミスコピーにより進化が生じ、新たな生命体の創造が行われてきたわけです。繰り返しの情報のコピーの中で、一定確率で生じる情報のミスコピーこそ、創造の典型と思います。ミスコピーにはコピー元のオリジナルが必要です。進化には、ミスコピー以前のオリジナルが必要で、オリジナルがなければ、創造は生じません。生命の進化は、人類の文化の進化に類似させることができます。文化の進展は、人間社会で、親世代の振る舞い、技術などが子世代に、情報伝達される過程で生じます。親世代の文化の情報が、正確に子世代に伝達されるのではなく、伝達の過程で、子世代が伝承される文化情報をそのまま受け入れず、何らかの情報変化操作すなわちミスコピーがなされて、新たな文化情報が創造され、これが人間社会の往来の中で拡散し、その文明単位の中で、文化情報が進化していきます。進化における遺伝子のミスコピーは、わずかであることが重要です。大きな遺伝子のミスコピーは、その個体の死に直結します。文化情報の伝承であれば、あまりに大きな情報変化操作は、その文明内では異質的過ぎて、共感を呼ばず、無視または抹殺されてしまい、文明社会内での情報拡散が期待できません。

 生物進化の過程は、良く樹形図で表されます。単細胞の細菌から多細胞の生命体に分化し、動物と植物に分化し、それぞれ様々な生物種を生まれてきた壮大な創造の展開図が樹形図で表されます。絵画や音楽の進化も同様に樹形図で表されそうです。絵画に関して見るならば、洞窟や土器に描かれた素朴な絵が時代とともに発展し、古代、中世、近世とそれぞれの系統での発展史を見ることができます。大きな創造、突然変異のような系統が現れるように見えることもありますが、それでもその周辺の絵画に何らかの類似性を認めることは可能でしょう。科学技術の発展も生物進化と類似しています。わずかな変化(進歩)により、偉大な創造が積み重ねられています。現代の様々な発明が、中世の時代に突然現れることはありません。レオナルド・ダビンチがどんなに天才でも、その時代にエジソンの行った発明を突然、行うことはできません。すべて過去の蓄積、過去の情報の集積、発展形として、現れます。

 ここまで考えて、最初の課題、AIは創造性を持つことができるかという問いに関して、筆者は答えましょう。AIはあらゆる分野で創造性を持つことは可能ではないか、と思います。創造という作業が、過去の情報の蓄積を基として、その情報にわずかな変化を与える。この少し変化を与えられた情報に関して、その情報に対応する実空間で出来事や物がどのようなものか、またそれが人にとって、有用であるか否かを評価し、有用であればこれを残してさらに次の発展を期待することを繰り返せば、新たな創造が芽生えます。この過程をAIに実行させることはさほど難しくはないでしょう。AIにより創造がなされると考えても良いように思えます。

 CFD解析における基本原理である流体の支配方程式に変化を与えることは往々にして無駄になるでしょう。これに変化を与えてしまっては、実空間でこの変化した支配方程式に支配される現象が存在しないのであれば、机上の空論になり、創造にはなりません。しかし、初期値や境界値の情報に関しては、変化を与えることは意味があります。現実の世界でもこの変化に対応する変化は実際に存在し得るでしょう。良い変化だけを残して、変化を続ければやがて良い結果を得ることもできるでしょう。創造がなされます。わざわざ、AIによらなくてもより単純な論理による変化、例えば遺伝的アルゴリズムに基づき、初期値や境界値を変化させて、人に役立つ流れ場を見出すことは可能と思われます。これは遺伝的アルゴリズムによる最適探査と称されますが、筆者などはこれも立派な創造の一種と考えます。あらゆる実現象が情報として把握され、AIによる情報の創造が成され得るものと思えます。

 AIは、人でしかできないと思われてきた人固有の知的活動である創造も、行う力があります。現在すでに、初歩的な創造は、コンピュターを利用した最適解探査という形で実行されています。創造も含め、人の知的活動のほとんどがコンピュターにより置き換えられてしまう世界の到来は、案外早いかもしれません。恐ろしいと考える人がいても不思議ではありません。