第五十二夜 流儀の違い

 日本語を母国語とする人が、初めて英語を学ぶ際に戸惑うものの一つに不定冠詞の使い方があります。日本語は、物を指し示す言葉を使うとき、そのものが一つ(単数)であるか一つ以上であるか(複数)に頓着しません。目の前に、リンゴがあれば、一つであろうが、二つ以上であろうが、リンゴがありますと言います。しかし、英語は、リンゴが一つあれば、an apple、二つ以上あれば、applesと言います。更にリンゴがあることを認識した後、そのリンゴを取ってほしければ、take the apple と、認識した特定のリンゴを取って欲しいと言います。日本語では、そのような面倒なことはせず、ただリンゴを取っていうか、あるいは、theに対応して、そのリンゴを取ってといいます。個数が数えられるものは良いですが、個数が数えられないものは面倒です。日本語では、水が欲しいと言えば済みますが、英語では、どのぐらいの水を欲しているかも明確にするようで、例えば、take water よりは、take a cup of water というのが一般的なようです。waterやairは、英語では、数えられないもの、不可算名詞に分類されています。

 可算名詞には、物そのものとそのお隣を明確に区別するように思えます。私が注目した特定のリンゴの横に別のリンゴがあれば、それは隣のリンゴとして扱えます。人や家は可算名詞ですから、隣という概念も明確化です。隣の家、隣の人といえば、明確にイメージできます。それに反して、不可算名詞は、隣がはっきりしません。水や空気は、不可算名詞です。境界線ではっきり区別して、一つ、二つと数えることができません。日本語では、隣の水や、隣の空気というと、ある程度、明確な境界線が想定されて数えられる水の塊や、空気の塊が想像されるかもしれません。その辺は英語ほど、数えられる、数えられないを、区別しない日本語の良いところです。隣の家の敷地の上にある空気や水は、隣の家の空気や水などとして、敷地とリンクして、空気や水も一つ二つと数えることができるとする人もないとは言いません。そうした考えを想像することも、楽しいかもしれません。敷地とリンクして水や空気を数えることは無理が過ぎる気がしますが、液体である水は、空気中では、雨粒や水滴など、一つ一つ数えられる気もします。しかし、水自身は、数えられない物質に対する名称で、水滴を表すには、a droplet of waterとして、明確な境界があるdropletを使って、一つ一つ数えるようになっています。A cup of waterと同じ感覚ですね。

 ところで米や麦というと、何を指し示すものでしょうか。米粒や、麦粒を想像するでしょうか。あるいは、あるいは水田や畑に生えている植物としての、米や麦を想像するのでしょうか。米や麦を栽培する農家の人は、植物としての米や麦を想像するかもしれませんが、一般的には、脱穀された米粒や麦粒を想像すると思います。米や、麦は、流体である水や、空気と異なって、米粒や麦粒ですから、一つ一つ、数えられる可算名詞であるべきという気もしますが、小さすぎて、一つ一つ数えることなど面倒です。米粒や麦粒が集まった集合体の穀物群をイメージして、空気や水と同じく不可算名詞の様子です。a riceやa wheatなどとは言わず、米粒、麦粒といいたければ、a grain of rice や a grain of wheatと、数えられるgrainを使うようです。米も麦もカップや桝で量りますので基本的には、水と同じ扱いです。

 水や空気は、数えるには、a cup of やa droplet of などとして、図る単位のまとまった塊とする必要がありました。このまとまった塊は、なかなか曲者です。その大きさは変幻自在で、大きくなったり、小さくなったりして、つかみどころがありません。大きな空気や水の塊を分割して小さな塊に分けることができます。リンゴの身を分割するともはやリンゴの身ではなくなります。しかし、水や空気の塊を更に分割しても、塊は小さくなりますが、同じ水や空気の塊です。この空気や水の塊の分割を、実際の物理空間で行うのは、少々、難しいでしょう。空気や水は形がありませんので、実際に分割を行うには、塊と塊を分ける境界に水や空気がその境界を通して移動しないよう、フィルム状のものなどで分けてやる必要があります。しかし実際問題として、こうしたフィルムなどを利用して塊を分割したうえで、更にまた細かく分割しろと言われても、現実の物理空間で実行するのは難しそうです。しかし、頭の中や計算機などの情報空間の中では、空気や水の塊を設定し、大きな塊を分割して、小さな塊に分割していくことは容易です。実際の水や空気と違い、情報空間の中で仮想的に想定された水や空気ですので、自由に切り刻んで小さな塊を考えることができます。実際の物理空間を情報空間の中で再現することは可能ですが、情報空間の中でできることが、すべて実際の物理空間でできるわけではありません。情報空間は、物理空間と一対一対応するものではなく、はるかに大きく、可塑性に富んだ空間と言えます。

 話が横にずれるかもしれませんが、人の思考は、このように実際の空間ではできないことを、頭の中や情報空間の中で自由に行うことは、なかなかに難しいことのようです。人は、実際の物理空間の中で、生活しているので、身近な実際の物理空間で生じないことを情報空間のなかで想像することは、かなり難しいことになります。例えば、万有引力の法則の発見で、太陽の周りを地球が回転していることは、現代人の常識になりつつありますが、こうした現象を現実感を持って、人の頭の中で再現することは難しく、リンゴが地球に向かって落ちるように、月が地球に向かって常に落下し続けているとか、地球が太陽に向かって常に落下していることを、肌感覚で納得している人は、限られた専門家を除けば、少ないように思えます。

 固体内の応力やひずみを扱う固体力学や、流体内の応力やひずみを扱う流体力学では、連続体内の力学と称されますが、その理論は、着目する塊とそのお隣の塊との関係を基にして、理論を組み立てます。固体力学では、仮想的な切断面を設定して、その切断面に働く力のつり合い、歪の連続性を考慮して、応力と歪の関係を導きます。固体ですから、頭の中や計算機の中の情報空間の中でなくとも、実際に、物を切断して、切断面に見合う力を加えて見ることできそうです。仮想的な切断面に働く力の理解は、ある程度現実感を持ってできそうです。しかし、流体では、仮想切断面で区切られた仮想的な塊を現実の物理空間で再現することは難しく、力のつり合いや、ひずみの連続性は、もはや頭の中や計算機の中の情報空間でしかできません。流体力学が固体力学より若干、理解しがたいところがあるとするならば、人の理解の構造にその原因があるかもしれません。

 非圧縮の粘性流体の基礎方程式は、質量保存則すなわち連続の式と運動量保存則(運動方程式)すなわちNavier-Stokesの式になります。その導出は、流体中に仮想の塊、簡単に考えるためEuler座標系で微小立方体(Δx, Δy, Δz)を考えて、その境界面を流入出する質量や、運動量の保存を考えます。連続式の導出は比較的簡易な説明で済みます。3次元空間で、x,y,z方向がありますが、それぞれの方向別の流速ベクトルの成分をu,v,wとすると、x方向の流量差は、面積ΔyΔzを通過する上流側uin,下流側uoutの差になるので、(uout- uin) ΔyΔz,となり、同じくy方向の流量差(vout- vin) ΔxΔz、z方向の流量差(wout-win) ΔxΔyになります。これを単位体積当たりの流量差にするため、微小立方体の体積ΔxΔyΔzで除して、微小体積を無限小にする極限を考えると∂u/∂x+∂v/∂y+∂w/∂zとなり、非圧縮流体で質量保存がなりたてば、この合計が0ということで連続式が導き出されます。運動量の保存も同様です。まず微小立方体に流入出する運動量の変化を算出します。連続条件の算出と同様で、x方向の運動量uであれば、∂uu/∂x+∂uv/∂y+∂uw/∂zとなります。ただし、運動量に関しても単位質量での運動量変化にするため、微小立方体の質量ρ・ΔxΔyΔzで除して、その極限を考えています。この微小体積に流入出する運動量変化と微小体積内で速度成分の時間変化∂u/∂tの和は、微小体積に働く力である、圧力の差∂p/∂xと粘性力の差∂/∂x(ν・∂u/∂x)+∂/∂y(ν・∂u/∂y)+∂/∂z(ν・∂u/∂z)で生じることになり、Navier-Stokesの式が導出されます。

 Navier-Stokesの式の導出で、微小体積内に流入出する流れによる運動量変化∂uu/∂x+∂uv/∂y+∂uw/∂zは、移流項と称される非線形項です。非圧縮粘性流れの運動方程式を特徴づけます。しかし、多くの流体力学の教科書では、この非線形項の導出を、微小体積に流入出よる運動量変化と関係づけず、運動方程式の導出を、突然、Lagrange的に質点(もしくは剛体)運動方程式に関係づけた説明が多いようです。これは、筆者には流体力学の初学者を惑わせているように思えます。連続式ではEuler的に固定した座標系で、仮想微小空間を考えて質量保存を説明しているのに、運動方程式では、説明の一貫性という観点からは矛盾する、流塊の運動に関わるLagrange的視点を持ち出す説明を不思議に思っています。このLagrange的視点では、流塊が運動する際、微小時間Δtの間で、流れによる移動が生じ、場所が変化することによるその場の流速の変化を表すため、u∂u/∂x+v∂u/∂y+w∂u/∂zと表現される移流項が生じます(この形をadvective formと称することがあります)。式の表現が若干異なりますが、連続条件により、両者は一致します。ただし、CFDの基礎式とするためには、移流項の保存性が確保されやすい、前者の表現、∂uu/∂x+∂uv/∂y+∂uw/∂z(これをflux formと称しています)を用いる方が良いように感じています。

 英語で可算名詞と不可算名詞があるのに、日本語ではそうした区別がないように、流体の運動方程式を最も特徴づける非線形項にもflux form とadvection formのように二つの方式があります。たいしたことではありませんが、初学者を混乱させます。