第五十六夜 勾配管理で熱制御

 少し大げさという気もしますが、次世代を担う子供達に科学に対する興味を持ってもらうことは重要です。科学への興味を増進させる意味もあり、子供向けに多くの科学啓蒙書が出版されています。書籍だけでなく様々なメディアで、子供向けの科学啓蒙書がつくられています。筆者もそうした子供向けの科学啓蒙書に啓発された一人かもしれません。そうした中で、今でもよく覚えているエピソードがいくつかあります。

 特に印象に残っているものの一つが、宇宙旅行です。ちょうどソ連のスプ―トニックという人工衛星やガガリーンの宇宙飛行があった時代であったこともあるのでしょう。宇宙旅行は、空気のない宇宙空間を旅するわけですから、必然的にロケットの原理が子供向けに説明されていました。まずは力学で有名な作用と反作用ですが、これは氷上の二人のスケーターの逸話で説明されていました。二人のスケーターが氷上で一人が相手を押すと、押された人だけでなく押した人も、元居た位置から後ろに移動するという説明がされていました。人を押し出すとその反作用で、自分は後ろ向きに進むというわけです。その次は、人を押し出す代わりに、ボールを前に向かって投げると、その反作用で、スケーターは後ろに進む・・・というわけです。同様に、ロケットは高速でガスを噴射することにより、その反作用で加速し、進むという説明でした。ガスは軽いので、ほんとかしらと思いましたが、ボールを投げた反作用までは納得し、ロケット推進の原理を把握したつもりになりました。

 高速のガスの噴射はどうして行うかも説明されていました。酸化剤の液体酸素と燃料の水素をロケットのノズルの元の部分で燃焼させてやると、水蒸気が発生するわけですが、これが大量の熱発生により、膨張してノズルから高速で噴射されるというものでした。酸化剤の酸素は分かりましたが、燃料が何故水素なのかは、説明がありませんでしたので大学で各種燃料の単位質量当たりの発熱量を学ぶまでは、謎に思っていました。

 ところで、筆者が読んだこの子供向けの科学本の立派なところは、高温に曝されると、容易には燃えない金属も高温で溶解してしまうので、ロケットノズルは溶解しないように工夫されているという記載があったことです。どのような工夫がなされているか、子供心にも興味がわくところでしょう? 答えは、金属ノズルの中に細かい冷却用の流路を設け、燃焼前の液体の酸化剤と燃料を通してノズルを冷却するというものでした。さらにはノズルの冷却のため、温められた酸化剤と燃料はノズル内に噴出し、燃焼するというものでした。なるほど、ノズルの冷却に酸化剤と燃料を使用するわけです。子供向けの科学啓蒙書では、そこまでの記述でしたが、ノズルの冷却に燃焼前の酸化剤と燃料を使うことには、もう一つ大きなメリットがあります。すなわち、冷却がなければ高温になるであろうノズル外表面から宇宙空間に逃げる放射熱を減少させ、ノズル内で生じる熱エネルギーを、より有効に利用してノズルから燃焼ガスを噴射させられます。

 この燃焼に必要な酸化剤と燃料を燃焼前に、燃焼炉の炉壁中に通して、燃焼炉内に導くことにより、炉壁から周辺の環境に無駄に逃げる熱を減少させられる技術は、燃焼に関わる様々な分野で応用できます。ガラス製造や窯業や製鉄など様々な分野で燃焼炉が使われています。身近な周囲を見回しても、ガスを燃料とする調理用機器などを、よく見かけます。空気を燃焼用の酸化剤に使うことが多いと思われますが、燃焼用の空気と、気体もしくは液体の燃料を燃焼炉壁に通してその後に燃焼炉内に導いてやれば、燃焼炉壁から無駄に環境に逃げる熱を減少させ、燃焼炉の熱効率を、さらに上げることができます。しかし、遺憾なことに、こうした工夫をした燃焼炉があまり普及しているようには思えません。残念なことです。

 宇宙空間を飛翔するロケットのノズルで何十年も前に、使われている技術ですから当然公知の知識であり、燃焼炉などへの応用に、特許性などは全くないと思います。この技術には、名前がついています。「ダイナミック・インシュレーション」という名前です。燃焼炉の炉壁から熱エネルギーが無駄に環境へ流出することを抑える、流体を使用する熱制御技術、断熱性能向上技術というわけです。ロケットのノズルでの説明は、流体による熱回収技術としてして説明いたしましたが、「ダイナミック・インシュレーション」というからには、単なる熱回収ではなく、流体を用いた熱伝導制御技術となります。

 ダイナミック・インシュレーションの肝は、一次元熱伝導を考える際の熱流は、温度勾配と材料の熱伝導率に比例するというものです。フーリエの法則に言われています。フーリエの法則を虚心坦懐に眺めると、一次元方向の熱伝導を小さくするには、二つの方法があり、熱伝導率を小さくするか、温度勾配を小さくするかの二つの方法があります。断熱性能の向上は、主に材料の熱伝導率の小さいものを使用することに力が入れられています。しかし温度勾配を小さくして熱流を小さくすることだってできますし、現実に使われています。温度勾配を小さくして熱流を小さくすることは、一般の材料の熱伝導率の測定法などで使われています。熱流の正確な測定は簡単ではありません。よく使われる方法は、電熱線で発生するジュール熱は、電流と電圧の測定で比較的簡単に発熱量が分かるので、ジュール熱で発生した熱流すべてが材料を通過するよう工夫して、その際の材料間の温度勾配を測定すれば良いわけです。この際、電熱線により発生した熱は、温度勾配があるあらゆる方向に逃げますが、温度勾配をゼロとしてしまえば、その方向に流れる熱流はゼロになります。具体的には熱流をゼロにしたい方向に、熱伝導率が小さく、熱流が生じるには大きな温度勾配が必要な材料を挟んでもう一つ電熱線を配置し、その電熱線にも通電して、材料両側の温度勾配をゼロにすることにより、通過熱量ゼロの完全断熱を実現させます。温度勾配がゼロですので、そちら方向には熱流が生じないことが保証されます。このように必要な方向以外には、熱流が生じないように温度勾配をゼロにして、必要な方向のみに熱流を生じさせることは、熱流計の性能測定や、材料の断熱性能の測定ではよく用いられています。

 ダイナミック・インシュレーションは、この材料間や外部環境などとの間で生じる温度勾配を流体で制御し、熱流を制御する技術なのです。先のロケットのノズルの断熱性能は、宇宙空間という外部環境に対して、ノズル外表面の温度を外部環境の温度になるべく近くすることに、液体の酸化剤と燃料をノズル内に通す技術が使われました。酸化剤と燃料の両者をノズル壁内を通過させないと、燃焼により高温となったノズル内と宇宙空間という外部環境の中で、大きな温度差に駆動されて大量の熱流がノズル壁体を通過するのに対し、外部環境により近い温度で、液体の酸化剤と燃料をノズル内に通してあげれば、ノズル壁体の外表面と宇宙空間に生じる温度差が低減し、宇宙空間にノズル面から逃げる熱を減ずることができるわけです。同じことは、ノズルが溶解してしまうので現実にはできませんが、ノズル内で生じた高温の燃焼ガスをノズルの壁体内に通過させれば、ノズル内の燃焼ガス温度とノズルの内表面の温度差を減少させて、ノズル壁を通過する熱流を減少さることもできます。

 ロケットの噴射ノズルのような極端に大きな大きな温度差ができるものだけでなく、暖房や冷房される建物など、室内と外部環境で温度差が生じていて、温度勾配による熱流が生じる例は、様々にあります。燃焼炉や、こうした暖房や冷房される建物の断熱性能の向上に、燃焼用の空気や、建物の換気用の空気を有効に壁体内を通過させ、断熱性の向上を図ることができます。この「ダイナミック・インシュレーション」技術は、第一次石油ショックがあり、省エネルギーが叫ばれた、今から50年以上前に良く研究されていました。しかし、今は、余り使われていないようにも思えます。材料の熱伝導率を制御するだけでなく、工夫次第で温度勾配を制御させて、これを制御することも可能です。高価な断熱材に依存するだけでなく、温度勾配制御で熱流を制御する技術も今、使わないのはもったいない気がします。