第七十夜 トラス

 外食の際には、割りばしを使う機会があります。割り箸は、1回限りの利用ですので、食事後の割り箸は、廃棄されることになります。この使用後の割り箸は、皆さんはどのように扱うのでしょうか。

 飲食店で提供される割り箸の多くは、紙製の箸袋に入っています。筆者は提供された箸袋の紙を折って箸置きにすることも多いので、使用後、この折り曲げた箸袋に箸が半分くらい入るように入れ直し、折り曲げた箸袋と、その箸袋から半分ばかりはみ出した割り箸で、食事が終わったサインにします。あわせて、ここにある割り箸は、既に使用済みであることを明示しています。筆者は昭和の生まれ、物を大切にする時代に育ったおかげで、使用済みの割り箸であろうと、使用できるものは使用できなくなるまで使うのが当然と考えます。家庭で割り箸を使うときは1度割って使用済みの割り箸であっても、直ちに廃棄などせず、洗って再利用することもおかしくないという意識があります。逆に言うと、お店に使用済みの割り箸を残しておくと、ご飯粒糊などで割れた個所を接着して、再び割りばしとして、再利用されてしまうのではないかと、被害妄想的な恐怖も感じてしまいます。

 そんなわけで、使用済みの割り箸は、箸袋に半分入れたままにして、使用済みをしっかりとアピールし、その割り箸の再利用は考えないでね!、というサインを残しておきます。飲食店で提供される割り箸は、このように折った箸袋に半分、顔を出すように入れ戻しますが、コンビニ弁当や、新幹線など長距離列車用に購入する駅弁などの割り箸に対する扱いは違えています。弁当箱のサイズが十分大きくて、弁当の空箱に割り箸が収まるのであれば、紙ナプキンや使い捨てのおしぼりやその他のゴミなどと一緒に、使用した割り箸を弁当箱に入れて、ごみ箱には弁当箱だけが美しく捨てられるようにいたします。いくら使用済みで、もう使用しないゴミであっても、美しく捨てるというのが我々の心意気かと思います。弁当箱が使用済みの割り箸サイズより小さく、弁当箱に割り箸が収まらないときは、使用済みの割り箸を、曲げ折って短くし、他のゴミとともに弁当箱に戻して捨てています。

 この割り箸を短くするために、折り曲げで切断するという行為に関して、人はいつ頃、学んだのかと、考えます。子供のころ、チャンバラ遊びの剣を作る際、手近にある木の枝を手で折って、切断することを経験したことがある人は多いと思います。木の枝や割り箸を、道具を使わず短くするとき、必ずと言って良いほど折り曲げて、切断します。木の枝や、割り箸を、長さ方向にどんなに引っ張っても、切れてくれません。日常、引っ張ってすぐ切れるようなものは、ミシン目が施してある薄いトイレットペーパーぐらいしか思いつきません。お裁縫に使う糸だって、引っ張って切るのは大変です。鋏を使って切るか、歯で嚙み切ったりするのがせいぜいだった記憶があります。多分、幼稚園児以上の人であれば、長いものは、引っ張ったりするよりは、折り曲げると、比較的、容易に切断できることを知っていると思います。そんな曲げ折って切断するという日常的によく知られていることに関して、折り曲げると容易に切断できるという理屈を筆者に合点が行くよう教えていただいたのは、実に大学生も専門課程に入ってからでした。小学生の時に、「てこの原理」を習います。「てこ」に使う天秤棒には、曲げが働きます。支点を与えれば、「てこの原理」で大きな力を出せますが、「てこ」に使う天秤棒には大きな曲げの力が働きます。実際、やわな材料でできた棒を「てこ」の棒として使うと、力を加えると棒が曲がることを目で見て確認できますし、やわな棒であれば、それこそ、割り箸や木の枝などと同様に折れて「てこ」の棒としては使えなくなってしまいます。小学生は学校で、アルキメデスは「てこの原理」を発見し、「支点があれば、地球だって動かせる。」と言ったということを教えられると思います。今も小学生に教えているか否か、筆者は知りませんが、その時、「モーメント」という言葉も一緒に習いました。その時はピンときませんでしたが、「てこの原理」は「力のモーメント」の原理から説明されることや「偶力という概念」を学んだと思います。

 折り曲げるという行為は、割り箸やチャンバラ遊び用の木の枝に、曲げモーメント与える行為になります。折り曲げようとしたとき、割り箸や木の枝の断面では、中心線を境に片方は押し付けあう圧縮力、もう片方は引っ張りあう張力が働いています。断面の中心線を境に一方は圧縮力、もう一方は張力が働き、その力は中心線から離れるほど強くなっています。ここが「肝」です。材料断面において、曲げの力が働くと、一番外側は強い引張り、一番内側は強い圧縮が働き、曲げの外側で、材料が強い引張のため最後には千切れてしまい、千切れず残った断面では、曲げに耐えている面積が小さくなると同時に、断面の中心線も、曲げの内側の方向に移動します。同じ曲げモーメントが掛かっていれば、中心から外側までの距離が近くなるため、曲げの外側には更に強い引張りが働いて千切れが加速的に進行して行きます。結果、曲げの外側から内側に千切れが進んで、最後は材料すべてが千切れてしまうわけです。割り箸や木の枝になどに限らず、材料に曲げの力がかかると、材料に対する単純な引張や圧縮に比べて、はるかに容易に材料は耐力を維持できず破壊されてしまいます。「曲げ」は、単純な圧縮力もしくは引張り力が働くだけの材料に比べて、同じ断面でも、遥かに早く破壊が進み、切れてしまいます。恐ろしいことです。同じ断面積の材料を使用して、構造を支えるならば、材料に単純な圧縮力のみ、もしくは引張力のみが働き、曲げに対する耐力がない材料を使うことが、材料の節約につながります。

 橋の桁や建物の屋根を支える桁や梁は、水平方向に長い横材で、上からの荷重を支えるため強い曲げの力を受けます。「てこの原理」でも、分かるように、この曲げの力は、力を受ける支点(建物であれば柱、橋であれば橋脚)が長いほど強くなります。従って、この支点間の距離を短くすることが、強い建物や橋を造るのに大事になりますが、建物の屋根を支える梁であれば、柱間隔が短いと、室内にたくさんの柱が出てきてしまい使い勝手が悪くなります。橋であれば、たくさんの橋脚を準備するのは川の流れに悪い影響を与えるほか、工事費用もかさみます。

 長い棒を3本、組み合わせて三角形を作り、その三角形の作る面内で、頂点にのみ働く面内力を加えて三角形が動かない時(静止状態が続く場合)、三角形を作る三本の棒には、曲げが働きません。それぞれの棒は、圧縮力か、張力しか働かず、棒を曲げようとする曲げの力は働きません。三角形を面内で回転させる偶力が働くと、この偶力により三角形は回転し始めるはずですが、回転せず、静止しているのであれば、この三角形は、偶力が働かない上で、力の釣り合いが取れている状態にあることが分かります。三角形の要素である一辺の長い棒も静止しています。この長い棒が静止しているということは棒に働く力が釣り合っており、棒を回転させる偶力がゼロとなっている状態であり、棒の端にしか加力点がないので、棒には圧縮する力か引っ張る力だけが働いることが分かります。この三角形の頂点同士のみをつなぎわせていろいろな形を作ることができます。例えば、正方形に一本の対角線を入れて2つの三角形を組み合わせとして、この正方形を横に並べていくと、三角形で構成される長い棒状の構造を作ることができます。橋で考えれば桁のような構造を三角形の組み合わせで作るわけです。この三角形の組み合わせでつくられた桁で、桁の両端を橋脚などで支えた上で、桁を形成するそれぞれの三角形の頂点に、桁の長さ方向に垂直な方向に力(鉛直荷重)を加えた場合を考えます。桁には鉛直荷重の為、大きな曲げの力が働きます。しかし、桁が動かなければ、すなわち、桁の構成要素である各三角形が静止した状態を継続しているなら、それぞれの三角形の部材は、圧縮力もしくは引張力しか働いておらず、三角形の部材には、曲げの力は働いていません。桁を長くして、桁全体に大きな曲げの力が働くようにしても、桁の部材である三角形を構成するそれぞれの部材には、曲げは働かず、圧縮力か引張り力しか働きません。部材として、圧縮もしくは引張の最大限の耐力を発揮できているわけです。この三角形の組み合わせによる構造は「トラス構造」と呼ばれています。大きなスパン間隔の橋や、大屋根を空間内に支えの柱なく支える大スパンの構造として活躍しています。

 トラスの部材は、曲げが働きませんので、せん断も働きません。圧縮と引張のみです。美しいですね。流体もその凡そは、圧力で決まります。油圧システムなどをイメージしてください。流体には、せん断耐力もありません。筆者は、流体解析の際、なんとはなく構造解析との連想から「トラス」を思い出します。