現代人は、一生の90%程度は室内で過ごすといわれています。室内の温熱環境や光環境が好ましくなければ、好ましい環境になるように調整します。話が飛びますが、近代の高層ビル建築を成立させた建築設備に関する三大発明は、①安全なエレベーター、②電灯、③空調と言われています。最初の安全なエレベーターは、多少毛色が違いますが、残りの2つはいずれも室内環境に関する発明です。高層ビルでは、高層階を低層階と同様、安全かつスムースに使用するために、安全なエレベーターの設置が不可避です。オーチス(Otis)が1850年代、落下防止装置の付いた安全なエレベーターを実用化したことで、高層階へのアクセスが安全かつ容易になり、高層ビルの建設が可能になったと言われています。
室内環境調整の2つの発明が室内環境に与えた影響は大きいです。人の目は、光源がなければ役立ちません。人は光源に照らし出されて反射してきた光を見て、自分の周りの状況を把握します。屋外では日中、太陽という光源があります。太陽の光が届かない暗闇では、周囲の様子を見ることができません。太陽が地平に沈んでしまう夜間は、屋外での活動は縮小され、蝋燭や松明などによる人工の光源を利用した室内での活動が主になります。屋外でも室内でも蝋燭や松明などの光源がなければ、目で周囲を認識することができません。エジソン(Edison)が1870年代末に白熱電球を発明し、さらに電力会社を設立して建物内に電気を引き込めるようになって以降、夜間でも、また日中、太陽の光が届かない場所でも、目で物を見ることができるようになりました。この白熱電球の発明は、建物の形に大きな影響を与えました。白熱電球が実用化される以前、室内の光源は、窓から取り入れる屋外の光が主でした。窓からの光は遠くまで届きません。従って建物の奥行きはこの屋外からの光が十分届く範囲までに制限されていました。電灯の利用はこうした建物の奥行きの制約がなくし、奥行きの深い建物の建設を可能としました。それだけではありません。太陽の光が利用できない夜間も、明るい電灯のおかげで働くことができるようになり、太陽光を利用できない夜間での人の活動時間の制約が緩められました。
キャリア(Carrier)は、1900年代に、近代的な空調機(室内を冷やすことができる機器)を発明しました。空調機を換気設備とともに利用することにより、夏の暑熱時には暑くて耐えがたい室内環境になることもあった建物内で、人が快適に過ごせるようになりました。室内に熱を供給する暖房は、冷房の普及の遥か前から可能になっていました。しかし室内から熱を取り去る冷房は近代まで、なかなかできませんでした。あまり意識されていないかもしれませんが、人は常時発熱しています。安静時でも100W程度、産熱しています。人は発熱体であり、絶えず環境に熱を捨てています。熱を捨てるには、環境の温度が体温より低くなければなりません。環境の温度が下がりすぎて過冷却になる時は、厚着をして熱抵抗を増し、熱が環境に逃げないようにすれば、体が過剰に冷えること、過冷却は防げます。また室内に熱を供給する暖房により、人が過冷却にならないようにすることも簡単でした。しかし、暑熱時、室内が体温近くあるいはそれより高い温度になってしまうと、人体から温度差により放熱し、体を冷却することは難しくなります。発汗して蒸発潜熱で放熱する以外に手立てがありません。発汗も全身が濡れてしまえば、それ以上の蒸発潜熱による冷却はできません。屋外も室内も暑い時、室内から熱を汲み出して外に捨て、室内の温度を下げることは、人類にとって、室内に熱を持ち込む暖房に比べて、とても難しい課題でした。冷房の発明は、人類にとって、途轍もなく大きな進歩になっていたと思います。
現在の建物は、エレベーターや人工照明、空調などの建築設備が備わっていないと機能しないと言えます。しかし、これらの建築設備は功だけではなく、人の健康や安全にとって罪となる、すなわち悪く作用する側面もあるかもしれません。エレベーターの功は明らかです。罪がそれほどあるとは言えないでしょう。強いて挙げれば、階段を上り下りして脚力や心肺能力を鍛えるチャンスを逃してしまうということになるでしょうか。空調の罪に関しては、時々、誇張されている気がします。空調のある快適な室内は、屋外がそれほど温熱環境的に快適でない時、屋外に出て身体を鍛錬する機会を減じてしまい、体がなまってしまうという人がいます。言いがかりでしかありません。脚力や心肺能力を鍛えることや身体を鍛錬することに、エレベーターや冷房の有無は何ら関係ありません。エレベーターや空調の有無に関係なく、脚力や心肺能力を鍛えること、あるいは身体を鍛錬することは、人の意志により可能です。エレベーターや空調に罪はありません。
人工照明による功罪、特に罪に関して、エレベーターや空調とは異なり、確かに存在する気がします。人工照明の罪、あるいは悪さは、光のない(あるいは弱い)夜の時間を短縮します。光の明暗の周期は、人の一日周期の生理的、心理的リズム、概日リズム(サーカディアンリズム)に悪影響を及ぼす可能性があります。少し解説がいるかもしれません。まず、最初に確認しておかなければならないことに、人は人以外の動物や植物、あるいは微生物など地球上に存在するあらゆる生命体と同じく、地球上に存在する年単位、月単位、あるいは日単位の固有のリズムのもと生存しており、生命体はそのリズムを生命体内部にも生成させ、同期させて生命維持をしている側面があるということです。こうしたリズムが生命体内外で同期されないと、健全な生命維持に悪影響が生じることが経験などから知られています。
折角の機会ですから、地球上に存在する固有のリズムを周期の長いものから順にみてみます。地球は太陽の周りを1年の周期で公転しています。公転面に対して地球の自転軸が傾いており、地球の各表面の太陽エネルギーを受ける強度が、年周期で変化します。中緯度に位置する日本では、太陽光を受照する時間は春から秋にかけて長くなり、秋から春にかけて短くなります。四季のリズムが生じています。落葉樹はこのリズムに従って新緑を迎え、また落葉します。熊など冬眠する動物は、このリズムに従って活動レベルを変えます。人もこのリズムに同期しています。夏は代謝量を減らして産熱量を減じ、冬は代謝量を増やします。発汗能力は、夏に上昇し、冬に減少します。
1か月周期のリズムもあります。典型的なものに潮汐があります。潮汐は、月が地球の周りを公転していること、地球が自転していること、地球と月が太陽の周りを公転していることから生じます。日々の潮汐は、主に地球の自転により生じます。月と地球は互いに万有引力の法則により、引きあっていますが、地球の表面にある海水も、月と万有引力の法則に従い引き合っています。月に面する側の海水は、地球の中心と月との間に働く引力よりは、月に近い分、相対的に強く引き合うため、海水面は上昇します。月と反対側の海水は、地球の中心と月との間に働く引力に比べ、月から遠い分、相対的に弱く引き合います。地球の中心が受ける月との引力より、月と反対側の海水に働く月との引力が弱いということは、その分、地球の中心が受ける月との引力に対して、月とは反対側に引っ張られていることになります。このため、海水は月に対面する面と反対側でも上昇します。この海水面の上昇は、地球の自転とともに位置が変わるため、一日に2回、地上(海面)から見て月が天空面にある時と逆に反対側すなわち地平面(水平面)下にある時、海水面は上昇します。その中間すなわち月が地平面(水平面)上にある時、海水面が上昇する領域に海水を提供するため海水面は低下します。この日々の潮汐に加えて、太陽も万有引力で地球表面上の海水と引き合っているので潮汐に影響します。月は、地球の周りをおよそ1か月の周期で公転しています。月と地球と太陽が直線上に並ぶとき、すなわち満月と新月の時、潮汐は、月のみならず太陽の影響を受けて海水面の上昇と下降は大きくなります。大潮です。大潮と小潮は、月の公転に伴い、月単位のリズムを刻みます。
生命は海水中で生まれ、その後、陸上に上陸しました。植物が先で動物が植物を追って上陸しました。上陸の過程で端境となる海岸線で海と陸の両者の環境で生存したと思われます。海岸線では日々の潮汐の他、月単位の大潮小潮のリズムに曝され、このリズムに同期することを余儀なくされたことと思われます。海亀は普段は海水中で生活しますが、産卵は陸上です。多分、多くの海中動物のいる海水中より陸上の方が産卵場所として安全であったろうし、太陽エネルギーのお陰で卵の孵化も容易だったでしょう。海岸線が大きく移動する大潮のタイミングに産卵時期はリンクさせる必要があったのではないかと思われます。海亀に限らず、動物の生殖活動は大潮小潮の月周期にリンクしています。人も例外ではありません。女性の月経周期は、この大潮小潮の月周期の影響を今に残しています。
地球の自転により太陽光の受照面は1日単位で変わり、昼と夜のリズムがあります。このリズムは動物、植物、菌類、藻類などのほとんどの生物に影響しており、生命体自身もおよそ1日単位のリズムを刻んでいることが知られています。これは、昼間の有害な紫外線下ではDNAの複製に障害が生じるため、これを回避するため生命体が獲得し、ほとんどの生物にそのリズムが内在化されたと考えられています。人もこの日周期のリズムとともに活動します。この日周期の人の体の中での変動をサーカディアンリズム(概日リズム)と言います。この日周期のリズムは、人や動物では約25時間周期で変動するそうです。このリズムは、人も動物も光の明暗の周期に従うと言います。完全な暗闇の中に置かれて明暗の変動のない環境に置かれるとフリーランと言われる25時間に同調しない周期となりますが、日周期に伴う明暗の変化があれば、この非同期の周期はリセットされるようです。サーカディアンリズムの乱れは、時差ボケを起こすことや、睡眠障害を起こすと言われています。
サーカディアンリズムは、光の明暗の刺激によって調整されることから、人工照明は光の明暗による調整機能に影響し、サーカディアンリズムを乱す原因となる可能性が生じます。リズムの乱れは、健康を深刻に悪化させることがあります。特に心臓の脈動に合わせて血液循環を全身に行っている心血管病を発生させ、悪化させると言われています。また、精神・神経系にも大きな影響を与え、睡眠障害や「うつ」などにも影響を与えると言われています。
日暮れ以降は、人工照明を過度に使用して明るくしすぎることは、光の明暗によるサーカディアンリズムの調整を阻害する可能性があります。日暮れ以降は、明るくしすぎないことが肝要です。夜、白昼のように煌々と人工照明をつけて残業することは、寿命を損なう可能性を増します。人は多様ですので、タバコを大量に嗜む人が必ずしも癌に罹患しないように、リズムを崩しても健康を損なわない人もいるでしょう。しかしリズムを崩せば、健康を害するリスクを増大させることは確かのようです。夜間、人工照明をお使いになる方は、エジソン以前の蝋燭や燈明を使用していた時代のような、薄明りの下で就寝までの時間を過ごされますことをお勧めします。