第八十五夜 縄張り

 人が集まって住むと、集落ができ、町ができ、都市ができます。人は集まって住む動物です。集まって住むのが嫌いな人も少数いるようです。そうした人は人里離れた山の中など景色の良いところで一人、集落の人々とは交流を断って、独立して暮らしているかも知れません。意識的に群れから離れて生活する人だけでなく、近頃ではかつて集落の中で人と交流しながら暮らしていたのに、老齢化、過疎化が進んでやむを得ず、一人、独立して暮らす人々も増えたようです。

 集落や街中で群れて住む人も、群れて住むことを好まない人あるいは、やむを得ず一人で住むことを余儀なくされた人も、人の社会で行われている様々な分業システムの恩恵は利用しています。現代人は、医療をはじめとする様々な分業システムを利用しています。こうした分業システムを利用せず、何から何まで手作りし、他の人のお世話には、一切、ならずに暮らすことは、絶対に不可能だと言い切れないかもしれません。しかし、現代の人々の多くが享受している生活レベルを維持して、社会と隔絶した生活を送ることは不可能でしょう。もちろん、ある程度の現代文明の蓄積を持ち込めば、人里離れた山の中、あるいは無人島などの状況下でも、生活レベルや健康レベルをあまり落とさず、短期的に過ごすことも可能かもしれませんが、人との関りを断ち切って、長期に過ごすことは、できない相談でしょう。

 集まって住む人々の集団の中で、様々に分業が進み、さらには、異なる集団間で、交易による分業が進めば、より効率的に高度なレベルの生活が可能になります。世界には、国を超えた分業体制を否定し、自国内ですべて完結する分業体制を構築しようとするかのような宣言をするところもあるようです。しかし、いったん手にした効率的な世界分業システムから離脱して、自国内で閉じた分業体制を作ろうとしても水準以上の生活・経済レベルを維持することは無駄な試みになる気がします。世界的な分業体制を享受し、これに伴う効率的な暮らしを経験した人々が、これを放棄して生活レベルを下げて暮らすことなど、とてもできないでしょう。

 人は、石器時代の昔から血縁関係を超えるある意味、開かれた集団で、分業による相互扶助関係を持って生活してきました。太古の昔から人は集団で住み、分業による互恵システムを発展させ、現在の複雑な社会・経済システムを手に入れました。また、その器となる集落や街、都市を形成し、分業を可能とする交通や運輸のネットワークシステム、更には決済システムなどを構築してきました。こうした分業システムが、交通ネットワークや、通信ネットワーク、更には政治システムを発展させてきたと言って良いでしょう。これらの分業やネットワークシステムは、巨大になり複雑になれば必然的に一種の脆弱性も包含していきます。システムの靭性を向上させ、脆弱性を低下させる努力が継続的にされていますが、ひょっとすると明らかにされていない脆弱性がどこぞに潜み、わずかな齟齬から破滅に至る道を開くかもしれません。世界的な交易システムの展開に水を差し、一国のみの閉じた分業、社会システムに回帰させようとする政治家は、ひょっとすると、全世界的な交易、分業システムの展開による脆弱性の危機を本能的に覚知し、これを正そうと真剣に考えている逸材と、評価されるかもしれません。今のところは、ただの自分優先、利己的な馬鹿者と評価されると思われているようですが。

 世間が騒ぎすぎるので、つい、かの国、この国、隣の国、・・・様々な国の為政者の言質に反応して、横道にそれてしまいました。筆者も年を取って頭が固くなったのかもしれません。とかく年寄りは、一言、口が多いものです。前振りが長くなりましたが、本題の、街や都市における、人や建物の「縄張り」に話を進めます。

 集落や街の基本的な単位は、個々の家(建物)になります。個々の建物が集合して、集落や街が形成されます。この個々の建物すなわち家と家は、独立しています。人と人が、個々に独立した意識を持ち、独立して生命活動を行うように、集落や街を形成する家々もお互い独立しています。分業システムは、他の干渉を嫌います。独立し、専念して仕事を進めることにより、効率的な分業が可能になります。その意味で、生産の場はそれぞれ独立していた方が、都合よくなります。生活の場、休息の場、あるいは繁殖の場も同様です。他からの干渉を避け、独立した場で過ごすことで、人々の安寧が保たれます。これら独立した生産や生活の場は、道路や広場というパブリックな空間に開かれた入り口を設けます。その入り口を入れば、他の家、他の生産の場や生活の場とは独立した空間が広がります。建物はそうした意味でプライベイトな空間であり、建物(家)の中にいる限り、他の家の空間との繋がりはほとんどありません。家々は集落や街を形成し、集団として存在しますが、互いに独立して、その中で人は生活し、生産活動に従事します。家は、家を使う人の「縄張り」を示すものであって、ほかの家の「縄張り」と独立しています。

 縄張りは、動物に共通した行動原理です。縄張りは、個体が生きていくため、あるいは子孫を残すための占有空間として確保されます。縄張りは、食物、水、隠れ場所など重要な資源の確保の役割があります。縄張り内のこれら資源を独占することで、生存率が上がります。縄張りはまた、繁殖の場の維持に役立つことがあります。縄張りが求愛や子育てに最適な場所になり、ここを他の個体に侵されないことで、繁殖成功率が高まります。縄張りは、また競争の軽減に役立ちます。縄張りを持つことで同種間の直接的な争いを避けられます。ほかの個体との競争を低減することにより、個体のエネルギー消耗や怪我を減らします。なお、縄張りの大きさは、その個体の集団の中での社会的な順位の表現を表すことがあります。 ライオンの雄の縄張りなど特定の種では、縄張りの大きさや位置がその個体の社会的ランクを示すこともあります。人も動物ですので、この縄張りの本能から逃れることはできません。縄張りを、人の住居と読み替えれば、これら縄張りのメリットはすべて人の住居に当てはまります。特に縄張りの大きさや位置がその個体の社会的ランクを表すなどという役割は、人に対しては良く当てはまります。        

 縄張りは、個体にあるだけではありません。個体が所属する集団にも縄張りがあります。町会から、区や市の行政区、都道府県の行政区、国の国境など、人の集団に対応する縄張りがあります。縄張りが確定していないと、争いが生じますが、国のレベルの縄張りの紛争になると最悪、戦争となり、殺戮を招くことさえあります。戦争が国家にとって望ましくないことは、当たり前ですが、現代でも縄張りをめぐって、戦争が絶えません。今現在も、国の縄張りをめぐって戦争が繰り広げられ、多くの人々が死んでいます。縄張りをめぐる戦争は、動物の本能に根差したものですから、将来にわたってなくすことなどできないのかもしれません。        

 動物の世界では、縄張りの維持に大きな努力が払われますが、縄張りが誰にでもわかるように明確に示されていないと、縄張りをめぐって争いが起きてしまうからです。縄張りの明示は、臭いのマーキングが有名でしょう。イヌやネコなどが尿や分泌物を使って縄張りを示します。鳥や猿などは、鳴き声などを用いて縄張りの存在を周囲に知らせます。また、最近、よく人を襲うクマなどは、爪痕など、視覚的な痕跡で、自己の縄張りをアピールします。縄張りは、直接的な防衛行動でアピールされることも多くあります。他の個体が侵入してきた場合に威嚇や攻撃に出て縄張りをアピールすることもあります。人の場合など国家レベルになると、縄張りの重複や曖昧さをめぐって、この直接行動でアピールすることが多いようです。お陰で、エスカレートしたりすると戦争になり、かかわる人の犠牲が生じます。何とかしてほしいものです。人も所詮、動物の一種ですから縄張り紛争から逃れられません。困ったことです。        

 集団の縄張りに関しては、特に国家間の縄張り紛争では戦争にもつながり、血が流されるまでに至ることがありますが、近代国家で、さすがに個人の縄張りの争いは血を流さずに解決されるようになりました。法令や裁判制度の整備により、紛争が生じても血を流す争いまでには至らず、解決されます。しかしごく偶には、公による裁判では気持ちまでもが解決されず、結果、暴力に訴え、傷害や殺人に及ぶこともあります。人が動物である限り、縄張りをなくすことはできません。縄張りから発する紛争は、小さな種から始まります。ちょっとした縄張りの侵害から紛争が始まります。大ごとになる前に、縄張り調整により紛争を防止するしかなさそうです。        

 筆者は現役時代、あらゆる事物の縄張り、勢力範囲に対して興味を持ち、これを探求ました。暖房器具の縄張り、空調機器の縄張り、扇風機の縄張り、スピーカーの縄張り、あらゆるものに縄張り、勢力範囲を考えました。縄張りを考えることは楽しいです。縄張りのコンフリクトを避けて、円満で合理的な環境調整を行うことができると信じていました。少しだけこの縄張りを説明します。検討する器具や物、何でもよいですが、その表面での能力を100とします。表面から離れるとその影響力が低下するでしょう。能力がワンオーダー、すなわち1/10程度に低下する範囲を縄張りと考えました。器具の影響力を示す範囲が縄張りと言うわけですが、影響力が1/10以下になったとすれば、もはやその器具の影響力は雑音程度、無くなったも同然と考えます。1/10の低下でなくても構いません。筆者はしばしば1/7の低下を縄張りの境界線として考えることもありました。ヤード・ポンド系で考える人々であれば、1/8などになるかもしれません。まあ、1/10前後の値でよいでしょう。あらゆるものに縄張りを考えることができます。繰り返しますが、縄張りを考えることは楽しいですヨ。